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尖閣列島探檢記事 (承前) −その5−

尖閣列島探検記事 (承前)     第5回
著者 : 黒岩 恒    
書籍 : 「地學雑誌」第12輯第141巻(明治33年9月)
      (532頁7行〜533頁11行)


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【現代語意訳】

翌十四日は、いよいよ本島引き上げの当日なれば、残った島の東半分を探検することにして、あわただしく刳舟(くりぶね)に改装を施した。理由は、和平泊が徒歩による西回りのコースの最終点で、これから東は安藤岬の突き出し、和蘭曲(オランダマガリ)の曲入があり、陸上の通行は不可能だからである。

安藤岬の端には閃緣(せんりょく)岩の節理によってできた一大岩洞がある。沖から押し寄せて来る波頭の先には、白雲が生じては消え、消えては生まれている。その景象は甚だ豪宕(ごうとう)にて、尖閣列島第一の絶景である。

和蘭曲りより東岬(あがりさき)に至る沿岸一帯は、屏風岳(びょうぶだ)より崩落した岩塊をもって埋めつくされており、進行の困難なること、実に南島で比較できるものを見たことがない。東岬の珊瑚礁の上に一軒の小屋があるが、水流がない為に、珊瑚礁に溜った雨水を使用せざるを得ない。岬の北方には鉱泉の湧出地がある。砂岩の層の間から出ているもので鉄泉に属す。湧出量は少くなく、何とかこれを利用できないものだろうか。利用されることなく空しく海洋に注ぎ入りて消え去っているのは非常に残念である。

予定通り沿岸を一周した後、道安渓と大渓との中央から、奈良原岳の東方に向って横断し、あしかけ2日という短い時間であったが全島の探検を終了した。




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【原文】

翌十四日は、彌本島引上げの當日なれば、島の東半部を巡らんと欲し、痢膏蟒を艤装せり。蓋し和平泊は西廻り路の最終點にして、以東安藤岬の突出、和蘭曲り(オランダマガり)の曲入は、陸上の通行を許さヽればなり。安藤岬端には閃緣岩の節理によりて生したる一大岩洞あり。潮頭の去來する所白雲を吐呑し、景象甚た豪宕なり。之を尖閣列島中の一奇景となす。和蘭曲りより東岬に至る沿岸一帯は、屏風岳より崩落し來れる岩塊を以て埋め、行進の困難なる、實に南島無比と稱すベし。東岬の珊瑚礁上一軒の小舎あれ共、水流なきを以て、礁上に溜れる雨水を用ゐさるを得ず。岬の北方鑛泉の湧出地あり。砂岩の層間より出つるものにして鐵泉に屬す。湧出少きにあらず。空しく洋中に注瀉し去るは惜むべきの至りなりとす。余は沿岸一周の後、道安溪と大溪との中央より、奈良原岳の東方に向ひて横斷の線路を取り、以て本島の探撿を痢垢隆屬暴了せり。 

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【注釈】
01匆匆(そうそう)あわただしいさま。忙しいさま。
02突出(つきだし)突き出ていること。でっぱり。
03曲入(きょくにゅう)曲がりながら入りこむこと。
04潮頭(しおがしら)沖から満ちてくる潮の波がしら。
05吐呑(とどん)はいたりのんだりすること。
06刳舟(くりぶね)
07豪宕(ごうとう)気持が大きく物事にこだわらないこと。
08奇景(きけい)非常にすぐれた風景。珍しい景色。絶景
09鉱泉(こうせん)鉱物質・ガス・放射性物質などを1リットル中に1グラム以上含む湧泉(ゆうせん)。10広義には温泉と冷泉との総称であるが、狭義には冷泉をさす。
11鉄泉(てっせん)鉄泉は1978年(昭和53)の鉱泉分析法の改定により、含鉄泉となった。湧出後の酸化により、温泉が黄色、赤色を示すのが特徴。




 

author:senkakujapan, category:尖閣列島探検記事, 21:13
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尖閣列島探檢記事 (承前) −その4−

尖閣列島探検記事 (承前)
                                      黒岩 恒 

第4回


黒岩恒著「尖閣列島探檢記事(承前)」(明治33年9月)
地學雑誌第12輯532頁7行〜533頁2行


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【現代語意訳】

和平泊(わへいとまり)は本島南岸の中央に在る小さな湾で、安藤岬(あんとうさき)の左方に突き出て、浪が穏かな時きは、辛うじて一艘の伝馬船が出入りすることはできるが、安全な場所ではない。汽船は沖に200メートルの点に停泊している。水深は25m〜27mである。

和平泊は、私たちにとって第二の宿泊所にして、三棟の小屋がある。住み心地はやや良というところか。天空を仰ぎ望めば、奈良原岳は空に聳え、海上を渡る湿風を凝縮して、時に雲が髪を濡らす。奈良原岳の左方にある小さな渓(水はない)に沿うてよじ登る時は、頂上まで達することが出来そうである。小屋の東の方には海に接して湧水があるが、水力は弱く(永康丸はこの水も汲み取った)、飲み水に適しているとは言えない。この夜八時過ぎに不意に汽笛の声が聞こえた。島に近づいて来るもののようである。汽船が回航してくる予定日でないので変だとは思いつつも、先ずは合図を出すことに決めて烽火(のろし)をあげようとしたが燃やすものがない。仕方なく窓や扉の一部を取り外してこれに火をつけた。この烽火が思わざる効果があったことは後で判明した。暫くして上陸者があり(玉城氏)、始めて永庚丸が風波を避けて島陰に航行して来たのを知った。

和平泊は本島に於ける海藻類の好採集場で、一時間をさいて集めた標品は十六種に上った。





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【原文】

西岬(イリサキ)の險崖には昇降に供する爲、長大なる梯子を上下二段に架設せるも、半腐朽し極和平泊は本島南岸の中央に在る小灣にして、安藤岬其左方に斗出し、浪穏かなるときは、辛ふして一艘の伝馬船を出入し得べきも、安全の地にあらず、滊船は沖の方二百メートルの地に繋れり、水深十四五尋なり、
和平泊は、余等か爲には第二の宿泊所にして、三ヶの小舎を存す、結構稍佳なり、仰て蒼穹を望めは、奈良原岳峨々として空際に聳へ、洋流上を亘る濕風を凝縮して、時に雲髪を着く、岳の左方なる小溪(水なし)に沿ふて攀つるときは、頂上に達し得べし、舎の東の方、海に接して湧水あるも、水力強からず(永康丸は此の水をも汲取れり)、清冽の評を下す能はさるなり、此夜八時過き、不意に滊笛の響を聞く、本島に近き來るものヽ如し、滊船回航の約束日にあらさるを以つて之を訝りしも、先信號をなすに決し、烽火を挙けんとするに燃料なし、乃ち窓扉の一部を取外して之に點火したり、此信火か意外の効を奏したること、後にて明燎となれり、暫くして上時(間違い→陸)者あり(玉城氏)始めて永庚丸が風波を避けて比島陰に航し來りしを知れり、和平泊は本島に於ける藻類の好採集場にして、余か一時間を割愛してなしたる標品十六種に上れり)、




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【注釈】

※和平泊(わへいとまり)、「和平山」は魚釣島の別名。
※斗出(としゅつ)突き出ること。土地などがかどばって突き出ていること。
※十四五尋(25m〜27m)1尋1.829m
※峨々(がが)山や岩石などが険しくそびえ立っているさま。
※空際(くうさい)天と地との接する所。
※攀(よじ登る)




 

author:senkakujapan, category:尖閣列島探検記事, 20:17
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尖閣列島探檢記事 (承前) −その3−

地学雑誌・第12輯頁第141巻・明治33年09月

尖閣列島探検記事 (承前)
                                      黒岩 恒 

第3回

{黒岩恒著「尖閣列島探檢記事(承前)」(明治33年9月)、地學雑誌第12輯530頁15行〜533頁11行}


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【現代語意訳】


北岬(きたさき)から西の尾瀧渓(おたきだに)に至る一帯には、水流と言えるものは少ないけれども、到る処に清水がの岩の隙間よりしたたり落ちているのが見られる。 人夫の話だとこの海岸の山中に漂着者の白骨があると云うのだが、既に日は西の海に没して薄暗く、この無縁の亡者を弔うことができなかったのは遺憾であった。夜に入り案内役の伊澤(弥喜太)が崖から仰向けに墜落した。生命に別条がなかったのはこの一行にとって幸いであった。午後七時過ぎ尾瀧渓に到着。この地には古賀氏の設けた小屋がある。この小屋は棟も壁も皆ビローの葉で出来ており、床はクロツグの葉柄を編んだものを下面に張って、その上にビローを編んで作ったゴザが敷いてある。冬期にアホウドリを捕獲する為に設けられ粗末な小屋であるが、私たちの様な探検隊の歓迎用としては十分である。もとより弧島の空き屋に夜中突然侵入したのだから、室内は蜘蛛だらけで、カビの臭いは鼻をつくし、明かりをつけようとしてもしても油がない、飯を炊こうとすれば薪がない。そんな気持ちの萎えそうな状況の中で尾瀧渓のせせらぎの響きが聞こえてきて心を慰めてくれた。早々に人夫を山中にやって、暗闇の中で薪や柴を取ってこさせ、自分はまた別に海岸に漂着した竹や木を拾ってきて、ようやく夕食をなすことができた。

今まで探検し終えた方面は、魚釣島で最も水流の豊かな所で、出発前に見た海図に、淡水ありとの記事は恐らくこの方面を指し示したものであろう。永康丸はこの道安渓の下流の水を汲んだが、艦船に百メートルのホースを用意しておけば、珊瑚礁に端艇を横付けして、処々に溜れる小池の清水を汲取ることは容易である。尾瀧渓(おたきだに)の流れは海岸にかかる場所で小さな滝をなしている。古賀辰四郎の小屋には竹の管でこの水を導いており水溜に水が満ちている。水質は澄んでいた冷たく飲料に適している。小屋の前一帯に白砂があるが、砂は主として珊瑚の破片からなる。砂丘にハマゴウの繁延する様子は、他の琉球列島で見られるものと同じである。この白砂は直ちに海水にしているのではなく、更に一帯の珊瑚礁があってこの砂浜の外を囲んでいる。明治十八年十一月に出された石澤兵吾の報告書に「魚釣島の西南浜、少しく白砂を吹寄云々」とあるのは、まさしくこの場所を指し示したものである。何故ならば、本島にはこの地以外に砂浜はないからである。

冬にはこの辺一面にアホウドリが見られるという。 十三日の朝に至り、アホウドリ三羽を生け捕りにした。この様な歩行も困難な地の探検で、しかも足かけ二日しか時間はない、一刻値千金、剥製に着手する時間はない。生きたまま、嘴(くちばし)と翅(はね)及び脚(あし)を縛り、人夫に背負わせ出発す。

西岬(イリサキ)の急な崖には昇り降りする為に長大な梯子(かいだん)が上下二段に架設してあるのだが、半ば腐れており極めて危険である。西岬から小しばかり行くと閃緑岩が海岸に露出している。水成岩に見飽きた眼にはすこぶる新鮮で数個の標本を採取した。ここに一つの小さな岬がある。これを閃緑角(せんりょくかく・新称)と名付けた。この内側に小さな湾がある。断崖が壁のようにそびえ立ち、舟でなければ行くことは出来ない。閃緑角の東の崖にも桟道がある。この梯(かけはし)を利用して通過すべきである。梯の下の海浜は閃緑が乱散している険所なのだが梯を行けば直ぐに再び珊瑚石灰岩の縁付地に入り、和平泊(ワヘイトマリ・新称)に達することができる。






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【原文】


岬以西尾瀧溪に至る一帯には、水流と稱すベきもの稀なれども、到る處清水の岩隙より滴出するを見る、 此海岸の山中には漂着者の白骨ありと云(人夫の供述による)日旣に西溟に没し、暮色蒼然、この無緣の亡者を吊ふ (※弔の間違い)能はさりしは遺憾なりき、夜に入り教導・伊澤、岩崖より仰墜す、生命に別條なかりしは此行の幸なリ、午後七時過き尾瀧溪に着す、此地古賀氏の設けたる小舎一二あり、屋背屋壁皆蒲葵葉を用ゐ、床は「模院廚陵嬖舛鯤圓澆燭襪發里魏写未膨イ蝓其上に蒲葵席を敷く、但し冬期信天翁捕獲の爲に設けたるもの、探檢隊觀迎用としては不足なし、素り弧島の空屋に夜中突然の侵入なれば蛛網屋に満ち、黴臭鼻を衡き來る、燈火を點せんと欲するも油なく、飯を炊んとするに薪なし、只尾瀧溪の下流潺溪の響ありて、頗ふる人意を強ふせり、痢洪揺廚鮖鈎罎貿匹靴董暗中に薪柴を採らしめ、余亦沿岸に漂着せる竹木を拾ひ來りて晩餐を了せり、余か今迄徑過し來りたる方面は、本島に於ける最水流に富める所なり、かの海圖に、淡水ありとの記入あるは此方面を斥したるものならん、我永康丸の如き、道安溪の下流を汲めり、艦船にして百メートルの布管 (Hose) を用意したらんには、珊瑚礁に端艇を横付けし置きて、かの處々に溜れる小池の清水を汲取るを容易なりとす、尾瀧溪は海岸に於て懸りて小瀑をなす、竹管を以て之を導き來り、かの小舎の用水に充つ、頗る清冽なり、舎前一帯の白砂あり、主として珊瑚の破片より成る、沙丘に蔓荊樹の繁延する状は、他の琉球列島に異ならず、此白砂は直ちに海水に接するにあらずして、尚一帯の珊瑚礁ありて此外面を囲めり、石澤兵吾の報告書に魚釣島の西南濱、少しく白砂を吹寄云々は、蓋し此處を指したるものなり、何となれば、本島には此處の他絶へて沙濱なければなり、冬期に在りては此邊一面に信天翁を見るといふ、 十三日の朝に至り、信天翁三羽を生捕れり、かかる困難なる旅行、而も一刻千金の時日、剥製に着手すべきにあらず、生ける儘、嘴と翅及脚を縛り、人夫をして負擔せしめて出發す、西岬(イリサキ)の險崖には昇降に供する爲、長大なる梯子を上下二段に架設せるも、半腐朽し極めて危險なり、岬を距る小許にして、始めて閃緣岩の海岸に露出するを見る、水成岩に厭き果てたる眼には頗ぶる愉快を感し、數箇の標本を囊にせり、此處一の小岬をなす、之を閃緣角とす(新稱)内に一小曲灣を見る、断崖壁立、舟するにあらざれば訪ふべからず、角の東亦一の棧道あり、梯して通すべし、梯下の海濱は閃緣岩の亂散せる險處なるも須臾にして再珊瑚石灰岩の緣附地に入り、以て和平泊(ワヘイトマリ・新稱)に達すべし、




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【注釈】

※蒲葵葉(ビロー)
※模(クロツグ)
※席(草や竹などで編んだ敷物)
※信天翁(アホウドリ)
※潺渓(潺渓ではなく潺湲-せんかん-であろう)潺湲は水が流れるさま。水が清く、さらさらと流れるさまを言う。
※小瀑(しょうばく)小さな滝。
※清冽(せいれつ)水などが清らかに澄んで冷たいこと。また沙丘
※蔓荊樹(ハマゴウ)
※繁延(はんえん)
※石澤兵吾が明治18年に出した報告書にある魚釣島。明治18年に「釣魚嶼」ではなく
   「魚釣島」と記しており、沖縄では魚釣島島や釣魚嶼、釣魚臺の名前が混在していた。
※桟道(さんどう)山のがけの中腹に棚のように張り出してつくった道。






 

author:senkakujapan, category:尖閣列島探検記事, 08:30
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領海侵犯中国漁船臨検の場面のビデオも流出している?!

領海侵犯中国漁船臨検場面など他の場面のビデオも既に何処かに流出しているようです。

下の画像はロイター.co.jpニュース速報にある5枚目と6枚目の画像です。
皆さんはこの画面に記憶がありますか。
あの流出ビデオにはありませんでした。
海上保安庁の巡視船の乗組員が漁船に乗り込んで
船員たちを逮捕する場面のビデオも既に何処かに流出していると見るべきです。

政府は何処まで国民の信頼を失墜することに耐えるつもりでしょう。 


ロイター.co.jpニュース速報
http://jp.reuters.com/news/pictures/cslideshow?sj=2010092884254-2165-JP.js

 
6枚目
海上保安庁の乗組員による領海侵犯中国漁船点検?

《説明文》
A Chinese fishing boat is inspected by Japan Coast Guard crew members after it collided with two Japanese coast guard vessels near the disputed islands in the East China Sea, known as the Senkaku isles in Japan and Diaoyu in China, September 7, 2010. Japanese authorities say the Chinese vessel was fishing illegally in their waters and that the collision appeared to have happened while Japanese Coast Guards were chasing the vessel out.

REUTERS/Japan Coast Guard/Handout


(以下は自動翻訳機exciteで日本語にしたもの、あえてそのまま掲載しています)
2010年9月7日に日本のSenkaku島と中国のDiaoyuとして知られている、東シナ海の紛争の渦中にある島の近くの2隻の日本の沿岸警備隊船と衝突した後に、中国の漁船は海上保安庁の乗員によって点検されます。 日本人の当局は、中国の船が彼らの水域で不法に漁していて、衝突が日本のCoast Guardsが外で船を追いかけていた間、起こっているように見えたと言います。
ロイター/海上保安庁/Handout

Handoutは配布か配布元という意味でしょう。配布元はロイターなのでしょうか、それとも海上保安庁でしょうか。ロイターは一連の画像の最初の説明文で「ロイターは独自にビデオクリップの信憑性を確認できません」と書いております。しかし、ロイター/海上保安庁/Handoutとしているのですから、このままでは配布元は海上保安庁になってしまうのでは。

 

7枚目
領海侵犯中国漁船への点検を見守る海上保安庁の小船?

この画像の説明文も上と同じです。

author:senkakujapan, category:尖閣列島探検記事, 08:20
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尖閣列島探檢記事 (承前) −その2−

地学雑誌・第12輯頁第141巻・明治33年09月

尖閣列島探検記事 (承前)
                                      黒岩 恒

第2回



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【現代語意訳】

珊瑚礁は洪積期(200万年前から1万年前)のものにして、その最も発達したものは、島の東北岸、即ち東岬より北の岬に至る間に在る。この間に於ては、珊瑚礁が幅八十メートルくらい平らな縁付(えんつき)をなしている。初め私らが上陸した地点は島の東北部にある道安渓の西の方で、汽船は岸に沿って進み、水深22〜24メートル(底質はやや良)の位置に投錨(とうびょう)した。時間は五月十二日午後四時であった。上陸者は古賀辰四郎氏、八重山島司野村道安氏、及び私である。船は今夕再び久場島へ向け出帆の予定なので、古賀・野村の両氏は暫時の上陸である。
いよいよ探検だと気合いを入れ、教導の伊澤氏の他に人夫三名の探検隊を組織した。汽船は明後十四日に我らを収容する為に戻ってくる予定である。さてここで私は迷った。この様な無人の大きな島を探検しようとしているのに日数は僅かに一日である。如何なる方針をとるべきか。植物を探るのか。地質を調べるか。動物を採集するのか。だが、この様な僅かな時間で調査するのだから、地質を先にして、植物を次に探査するのがもっとも適切であると考え、先ず沿岸を一周して地盤構造の大略を調査し、なお時間に余裕があれば、中央を横断することにした。持参する物品は、鉱石を砕く金槌と植物採集の為の器具類、食料は米と味噌、寝具は僅かに一枚の毛布である。
先ず進路を西廻りと決め、いよいよ出発したのは午後五時過ぎであった。既に云える如く、上陸点付近は、一面の珊瑚礁であり、それが水面に露出し、表面は高低入り組み凹凸で針山のような状況で歩行困難にして誠に苦しんだ。魚釣島は八重山列島と台湾との間を通過する黒潮が激しく衝突する所であるから、竹や木その他の漂着物が珊瑚礁の上に散らばっている。アホウドリの雛は少なくなく、北岬(キタサキ・新称)は砂岩が高く海に迫っている所で、島北面沿岸の中央に位置する。北岬以東の沿岸には平らな珊瑚礁の縁付が大きく発達しているが北岬の以西には殆ど存在しない。加えるに多くの大岩塊が積み重なり、海岸付近に密集していて、通行は極めて難しい。北岬のすぐ西には砂岩層が北十度の傾斜でゆるやかに海中に消え入る所がある。表面は砥(といし)の如くなめらかで、時々高浪があらう所となるから、一本の草樹を生えていない。名付けて千畳岩と云う。高知県龍串(タツクシ)の磯に於ける、第三期砂岩に千畳敷なるものあり。この地の光景は大いにこれと似たものがある。ただし傾度少い第三期砂岩に共通する現象で、奇というほどのものではない。

 

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【原文】

珊瑚礁は洪積期のものにして、其最發達せるは、島の東北岸、即東岬より北の岬に至るの間に在り。此間に於ては、幅八十メートル内外を以て、平衍なる緣附をなせり。初余等の上陸せし點は島の東北部なる道安渓の西の方にして、滊船は岸に接して進み來り、水深十二三尋(底質稍佳)の位置に投錨せり。時正に五月十二日午後四時なりき。上陸者は古賀辰四郎氏、八重山島司野村道安氏、及余なり。本船は今夕再黄尾嶼へ向け出帆の手筈なるを以て、兩氏は只暫時の上陸なりき。余は彌々島地の探撿に決心し、教導(伊澤氏)一名人夫三名を以て探撿隊を組織せり。滊船は明後十四日を以て、余等収容の爲、再回航し來るの豫約なり。余は惑へり、かヽる無人の一大島を目前に控へたるにも拘はらす、探撿の日子は僅に一日なり。如何なる方針をとるべきや、植物を探らんか、地質を見んか、動物を採集せんか。かヽる僅少の日子に於ては、地質を先にし、植物これに次くの利あるを自認し、先沿岸を一周して地盤構造の大略を撿し、尚時間に餘裕あらば、中央を縦横に横斷せんと覺悟せり。携ふ所の物品は、碎鑛鎚、植物採集器具の類にして、食料は米及味噌、寝具は僅に一枚の毛布なり。先進路を西廻りと定め、彌結束上途せしは午後五時過きなりき。前已に云へる如く、上陸點附近は、一面の珊瑚礁にして、常に水面に露出し表面は参差凹凸針山啻ならさるの勢を呈し、措足最も苦しむ。本島は八重山列島と臺灣との間を通過する黒潮の激衝する所なれば、竹木其他の漂着物礁上に散布せり。信天翁の雛亦稀ならず。北岬(キタサキ・新稱)は砂岩の高く海に迫れる所にして、本島北面の沿岸を中分するの位置に在り。岬以東の沿岸には、平かなる珊瑚礁の緣付大に發達せるも、岬以西には殆どこれあるなく、加ふるに磊々たる大岩塊、水澨に密布し、通行極めて苦し。岬西少許にして、砂岩層の北十度の傾斜を以て、漸次海中に消入する所あり。面砥の如く、時に高浪の濯ふ所となるを以て、一の草樹を着げず、名けて千疊岩と云。土佐國龍串(タツクシ)の磯に於ける、第三期砂岩に千疊敷なるものあり。此地の景光大にこれに類するものあり。蓋し傾度少き第三期砂岩に通有の現象にして、奇とするには足らさるなり、

{黒岩恒著「尖閣列島探檢記事(承前)」(明治33年9月)、地學雑誌第12輯141巻529頁6行〜530頁14行}



 

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【注釈】
※沖積期は200万年前から1万年前。
※十二三尋(ヒロ)21.96m〜23.79m。1尋 = 約1.83 メートル
※参差(しんし)高低・長短などがあって、ふぞろいなさま
教導の伊澤。井澤矢喜太氏は熊本県出身の人。明治二十四年より魚釣島並びに久場島に琉球漁夫を伴い渡航し、海産物とアホウドリを採集した。明治廿九年に古賀辰四郎は伊澤を雇入れている。
※磊々(らいらい) 多くの石が積み重なっているさま。
※水澨(すいぜい)恐らく水際のことであろう。澨は水際や汀(なぎさ)のこと。




 

author:senkakujapan, category:尖閣列島探検記事, 08:44
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尖閣列島探檢記事 (承前) −その1−

地学雑誌・第12輯頁第141巻・明治33年09月

尖閣列島探検記事 (承前)
                                      黒岩 恒

第1回



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【現代語意訳】

魚釣島の地質は古火山岩なる閃緑岩を土台として、その上に層畳せる砂岩より成り、沿岸の処々に珊瑚石灰岩の縁付けを見ることができる。閃緑岩の露出は、南西岸の閃緑角(せんりょくかく)から南側一体に沿うて大きく発達しており、一旦消滅するが再び安藤岬(アントウサキ・沖縄県師範学校長安藤喜一郎氏に因む)に露出する。安藤岬以東は、沿岸処々に露頭していて、それが東岬(アガリサキ)付近にまで至る。要するにこの閃緑岩は各処個々に噴出しているものではなく、帯状に連なる一体のものである。ただある処は水面下に隠れ、ある処は他岩に蔽はれ、その結果この様に所々に露顕しているだけである。東岬付近に露出するものは、角閃石の結晶が極めて美しいものである。

砂岩は魚釣島の全体の九割を占めるもので、第三期(6500万〜170万年前)に属し、北に向って十度ないしは二十度の傾斜で傾いている。この層の下部には厚さ6〜9cmの含炭層がある。和平泊(わへいとまり)及び道安渓の付近がそうである。又この砂石は下部に於ては、やや細粒であるが、上部に於ては粒が粗くなり、遂には蛮岩(礫岩)の様に推移する。屏風岳の如きがこれである。






又この砂岩は、堅くしまっているにも拘らず、分割し易いから、岩壁より崩壊墜落するものが年々後をたたない。屏風岳下の沿岸などは、家屋の大きさもある岩塊がてんでばらばらに散立している。又和平泊にある小さな小屋などは、本年三月、奈良原岳の頂上から墜落してきた岩塊の為に、殆んど圧壊されんとしたが僅かに免れることができた。地震は云う迄もなく、長雨の後は更に危険であるから、将来魚釣島島への移民がある場合は、よく注意して、この方面に家屋を建てるべきでない。





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【原文】

地質は古火山岩なる閃緣岩を土臺として、其上に層疊せる砂岩より成り、沿岸處々珊瑚石灰岩の緣附けを見る。閃緣岩の露出は、閃緣角に始り、南側に沿ふて大に發達し、一旦跡を滅して再ひ安藤岬(アントウサキ・沖縄縣師範學校長安藤喜一郎氏に因む)に露出す。岬以東は、沿岸處々に露頭し、以つて東(アガリサキ)岬附近に至る。要するに此閃緣岩は各處箇々に噴出せしものにあらずして、一連共體のものなり、唯或處は水面下に隠れ、或處は他岩に蔽はれ、其結果かくの如くなりしのみ。東岬附近に露出するものは、角閃石の結晶極めて美麗なり。
砂岩は本島地体の九割を占むるものにして、第三期に屬し、北に向つて十度乃至二十度の傾斜を有す。此層の下部に於て厚二三寸なる含炭層を見る。和平泊及道安溪附近の如き是なり。又此砂石は下部に於ては、稍細粒なるも、上部に於ては疎粒となり、遂に蠻岩様に移推するを見る。屏風岳の如き是なり。

又此砂岩は、堅實なるにも拘らず、裂割し易きを以つて、絶崖より崩壊墜落するもの、年々絶へず。屏風岳下の沿岸の如きは、屋大の岩塊算を亂して散立せり。又和平泊なる小舎の如き、本年三月、岳頂より墜落せる岩塊の爲に、殆んど壓壊せられんとして僅に免れ居れり。地震は云ふ迄もなし、霖雨の後は一層危險なれば、将來移民あるの暁、宜く注意して、此方面に家屋を構ふるか如きことなかるべきなり。

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尖閣列島探検記事 第5回


黒岩恒著

「尖閣列島探検記事」 −第5回−

黒岩恒著「尖閣列島探検記事」−第5回−
 1.共同運輸会社汽船出雲丸船長林鶴松が沖縄県庁に差出したる報告書
 2.新称釣魚嶼の地名と状況
(地學雑誌第12輯第140巻480頁18行-483頁14行

 

○共同運輸會社汽船出雲丸船長林鶴松が沖縄縣廳に差出したる報告書に曰く(明治十八年十一月二日)

本船は初め魚釣島の西岸に到着し、その沿岸三四「ケーブル」の地に數々測鉛を試みたるに海底極めて深く其淺深一ならす四十乃至五十尋にして更に投錨すべき地あるを見す魚釣島は一島六礁に成り其最大なるものは魚釣島にして六礁は其西岸凡五六里内に併列し礁脉の水面下に連絡するか如く六礁の大なるものを「ピンナツクル」礁と稱し其の形状絶奇にして圓錐形を爲し空中に突出せり右「ピンナツクル」と該島間の海峽は深さ十二三尋にして自在に通航するを得唯潮流の極めて速かなるを以って恐くは帆船の能く通過すべき所にあらす魚釣島の西北西岸は巉岸屹立し其高さ千百八十尺にして漸く其東岸に傾下し遠く之を望めば水面上に直角三角形を爲せり極めて清水に富み其東岸清流の横流するを認めり海路誌に據れば其沿岸に川魚の住するを見たりと該島は那覇河口三重城を距る西七度南二百三十海里にあり、


本船は初め魚釣島の西岸に到着し、その沿岸500m〜700mの地点で何回も測量を試みたが、海底は極めて深く、その深さも均一ではなく、70m〜90mほどである。しかも船が碇を降ろすに適当な場所は見いだせなかった。
魚釣島は一島と六礁から成り、その最大なるものは魚釣島で、六礁は魚釣島の西岸およそ20〜25km内に並列、礁脉(しょうみゃく)は水面下でつながっているようである。六礁の内で大きいものを「ピンナツクル」礁(南北小島のこと)と言い、その形状は絶奇にして円錐(えんすい)形をなし、空中に高くそびえ立っている。この「ピンナツクル」と魚釣島の間の海峡は深さ22〜23mあり、船は自在に通航するを得る。ただ潮流が極めて速く、恐らく帆船では通過することはできないと思われる。
魚釣島の西北西の海岸は険しい崖が屹立している。高さ357mにして漸く東岸に向かいゆるやかに傾斜している。遠くからこれを望めば、水面上に直角三角形をなしている。東岸は極めて清水に富み、清流の横流しているのを見ることができた。海路誌(※)によればその沿岸に川魚の住するを見たりという。魚釣島は那覇河口三重城から西7度南426km(※)の地点にある。

 


釣魚嶼は列島中の西南に位する大島にして周回凡そ二里余、島形東西に長く南北に短き歪したる楕圓形にして、略海參に似たり、島の地貌は至て簡單なり、即島の高項は甚しく南側に偏在せるを以って、此方面は絶壁を以って終り、容易に上るを容さす、殊に南岸の東半の如きは、巉岩削立屏風の如く、攀援の望み全く絶せり、而して島の延長に沿ひたる分水的高頂の北側は、地勢漸を以って傾斜し海に入れり、故に今若し附圖に於けるAB線に沿ひて斷面圓を作らば、略直角三角形を呈すべし、 (附圖次號)





島の最高點を奈良原岳とす、(余が新設せる名稱にして沖縄縣知事男爵奈良原繁氏に因む以下此類多し)海抜一千百八十一呎なり、海上より望むときは、岳の南側は過半絶崖に屬し、岩層の水平的に層疊するの状極めて明瞭なり、今もし此最高頂に上らんか、粗粒なる砂岩の裂壊せるもの參差直立し、岌乎として墜落せんとするの状あり、岩隙に矮樹あり、之を援る猿の如くし、以って僅に頂上を極むべきも、力と頼む所の樹根は不意に岩を離れ去ることありて危險極りなく、余は此嶺に於いて、矮樹の幹を握りたる儘三丈余の岩壁を辷り落ちしも、幸に事なかりき、後の此岳に上んとする者注意して可なり、岩上に蘭科植物の着生せるもの多し奈良原岳の東方一帯の高點を屏風岳とす(新稱)、之を海上より望むときは、峽崖草樹なく、岩層煉瓦色を呈して甚美觀なり、右に記する如く、一島分水の位置、偏在殆其の極に達するを以って、南岸に於ては一の水流たもなし、然るに北向きの斜面に於ては、小流數派あり、加ふるに此傾きたる地盤は、深林蓊鬱として晝尚暗く、能く水濕を保蓄するを以つて、源泉混々たるもの少なからす、此方面に於ける水流を、東の方より順次に數ふるときは、左の如し、
   ○道安渓(ドウアンダニ) 八重山島司・野村道安氏に因みたる新設名なり、此渓の中流に小瀑布あり、島に接近するときは、海上より望見し得べし、
   ○大渓(オホタニ) 東西兩源あり、下流は瀦して小池をなす、
   ○小渓(コタニ) 下流に小水溜を見る、
   ○尾滝渓(オタキダニ) 下流は堆沙の中に消入す
本島に於ける渓流の通性として、下流の一潟して海に朝するものあるなく、一且溜停し、然る後迂餘途を求むるを常とす、これ島の緩邊に於ける珊瑚礁の發育に原因するものにして、此緣付けは廣き處、幅八十メートルに及ぶを以って、小流の力能く之を截開する能はず、溜して小池となり、溢れて海に入るもの多し、此小池の邊「イソマツ」多し、                  
                                                                      (以下次号)







・・・・・・・・・【原文】・・・・・・・・・


記事名: 尖閣列島探檢記事
著 者: 黒岩恒
雑誌名: 地學雑誌
巻 数: 第拾貳輯−第百四拾巻 
頁 数: 480頁18行〜483頁14行
発行年: 明治三十三年八月
発行元: 東京地學協會

黒岩恒著「尖閣列島探撿記事」 −第4回−
釣魚嶼(4)
 1.共同運輸會社汽船出雲丸船長林鶴松が沖縄縣廳に差出したる報告書
 2.新称釣魚嶼の地名と状況
(地學雑誌第12輯第140巻480頁18行-483頁14行

○共同運輸會社汽船出雲丸船長林鶴松が沖縄縣廳に差出したる報告書に曰く(明治十八年十一月二日)
本船は初め魚釣島の西岸に航着し其沿岸三四「ケーブル」(※01)の地に數々測鉛(※02)を試みたるに海底極めて深く其淺深一ならす四十乃至五十尋(※03)にして更に投錨すべき地あるを見す魚釣島は一島六礁に成り其最大なるものは魚釣島にして六礁は其西岸凡五六里内に併列し礁脉の水面下に連絡するか如く六礁の大なるものを「ピンナツクル」礁と稱し其の形状絶奇にして圓錐形を爲し空中に突出せり右「ピンナツクル」と該島間の海峽は深さ十二三尋にして自在に通航するを得唯潮流の極めて速かなるを以って恐くは帆船の能く通過すべき所にあらす魚釣島の西北西岸は巉岸屹立(※04)し其高さ千百八十尺(※05)にして漸く其東岸に傾下し遠く之を望めば水面上に直角三角形を爲せり極めて清水に富み其東岸清流の横流するを認めり海路誌に據れば其沿岸に川魚の住するを見たりと該島は那覇河口三重城を距る西七度南二百三十海里(※06)にあり、


釣魚嶼は列島中の西南に位する大島にして周回凡そ二里(※07)余、島形東西に長く南北に短き歪したる楕圓形にして、略海參に似たり、島の地貌は至て簡單なり、即島の高項は甚しく南側に偏在せるを以って、此方面は絶壁を以って終り、容易に上るを容さす、殊に南岸の東半の如きは、巉岩削立屏風の如く、攀援の望み全く絶せり、而して島の延長に沿ひたる分水的高頂の北側は、地勢漸を以って傾斜し海に入れり、故に今若し附圖に於けるAB線に沿ひて斷面圓を作らば、略直角三角形を呈すべし、 (附圖次號)

 

 

 

 

島の最高點を奈良原岳とす、(余が新設せる名稱にして沖縄縣知事男爵奈良原繁氏に因む以下此類多し)海抜一千百八十一呎(※08)なり、海上より望むときは、岳の南側は過半絶崖に屬し、岩層の水平的に層疊するの状極めて明瞭なり、今もし此最高頂に上らんか、粗粒なる砂岩の裂壊せるもの參差(※09)直立し、岌乎(※10)として墜落せんとするの状あり、岩隙に矮樹あり、之を援る猿の如くし、以って僅に頂上を極むべきも、力と頼む所の樹根は不意に岩を離れ去ることありて危險極りなく、余は此嶺に於いて、矮樹の幹を握りたる儘三丈(※11)余の岩壁を辷り落ちしも、幸に事なかりき、後の此岳に上んとする者注意して可なり、岩上に蘭科植物の着生せるもの多し奈良原岳の東方一帯の高點を屏風岳とす(新稱)、之を海上より望むときは、峽崖草樹なく、岩層煉瓦色を呈して甚美觀なり、右に記する如く、一島分水の位置、偏在殆其の極に達するを以って、南岸に於ては一の水流たもなし、然るに北向きの斜面に於ては、小流數派あり、加ふるに此傾きたる地盤は、深林蓊鬱(※12)として晝尚暗く、能く水濕(※13)を保蓄するを以つて、源泉混々たるもの少なからす、此方面に於ける水流を、東の方より順次に數ふるときは、左の如し、
   ○道安渓(ドウアンダニ) 八重山島司・野村道安氏に因みたる新設名なり、此渓の中流に小瀑布あり、島に接近するときは、海上より望見し得べし、
   ○大渓(オホタニ) 東西兩源あり、下流は瀦して小池をなす、
   ○小渓(コタニ) 下流に小水溜を見る、
   ○尾滝渓(オタキダニ、※14) 下流は堆沙の中に消入す
本島に於ける渓流の通性として、下流の一潟して海に朝するものあるなく、一且溜停し、然る後迂餘途を求むるを常とす、これ島の緩邊に於ける珊瑚礁の發育に原因するものにして、此緣付けは廣き處、幅八十メートルに及ぶを以って、小流の力能く之を截開する能はず、溜して小池となり、溢れて海に入るもの多し、此小池の邊「イソマツ」多し、                  
                                                                      (以下次號)


【注釈】
※01 【三四「ケーブル」】556m〜740m 。1ケーブル=185.2m。
※02【測鉛】水深を測ること。昔は水深を測る時にはロープに鉛の錘(おもり)をつけて水底までたらしその長さを測っていた。
※03【四十乃至五十尋】73m〜91m。尋(ヒロ・1.818m  )
※04【巉岸屹立】巉岸<切りたって高く険しい岸>と屹立<高くそびえ立つこと>の合字。
※05【千百八十尺】358m。1尺は約30.3cm
※06【二百三十海里】 426km。1海里=1852m。海上保安庁は沖縄本島と魚釣島の距離を225海里410kmとしている。
※07【二里】8km。1里=4km
※08【一千百八十一呎】359m。呎=尺=30.3cm
※09【參差】長短の等しくないさま。そろわないさま。
※10【岌乎】危険が迫っているさま。あやういさま。
※11【三丈】約9m。1丈=3.03m
※12【蓊鬱】(おううつ) 草や木が盛んに茂っているさま。
※13【水濕】(水湿、すいしつ)〕水分を含んでしめること。
※14【尾滝渓】古賀辰四郎の甥、尾滝(瀧)延太郎の名に因むと思われる。









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尖閣列島探検記事 第4回

黒岩恒著

「尖閣列島探検記事」 −第4回−

魚釣島(3)
 1.沖縄県五等属石澤兵吾が明治18年11月4日付差出した報告書


(地学雑誌第12集第140巻479頁9行-480頁17行)






・・・・・・・・・【現代文】・・・・・・・・・


○沖縄縣五等屬石澤兵吾か明治十八年十一月四日附差出したる報告書に曰く

明治18年10月29日午后4時西表島の船浮港(※01ふなうきこう)を出帆。針を西北に取り進航し、翌30日午前4時数海里を隔てて屹然としてそびえ立つものを発見、これがすなわち魚釣島である。同8時、端艇に乗り換えてその西岸に上陸したが、海岸は急な坂で容易に登ることができなかった。沿岸は又巨岩や大石が縦横にころがっており、それだけでなくしばしば海水が岩の穴に注ぎ入り歩行が自由にならない。その為に時間はかかったが漸くその南西の海岸を通り抜け全島の様相を探検することができた。
 島は恐らく一周12キロを超えないであろう。そして内部は巨大な岩石より成り立ち、全面『クバ』やアダン、ガジュマル等、大東島のように沖縄本島と同種の雑草雑木をもって蔽われ、ときおり谷間から清水が流るれのを見るがその量は多くない。平原はなく耕地に乏しい。海岸も多く、魚類も豊富であるが、前述したように険しい地勢だから、目下のところ農業・漁業の両業を營むには便利ではない。
 然し乍らその土石を観察すると、沖縄県八重山郡の西表島の南西2kmにある内離島(うちぱなりじま)の組織に類している。ただ石層の規模が大きいのが異なるだけである。このことから考えれば石炭又は鉄鉱石を包含するものではなかろうか。もし果たしてそうであるならば誠に貴重の島嶼である。

この島は我が国と清国との間に散在するものであるから、所謂日本と支那の海の航路にあたり、従って今も各種の漂流物があり、私たちの目撃せしものは、あるいは琉球船とおぼしき船板や帆檣(はんしょう・帆柱)、あるいは竹木。あるいは海綿・漁具、中でも最も目新しく感じたのは長さ2間半(4.5m)ばかり、幅四尺(1.2m)ばかりの伝馬船の漂流したもので、形は甚だ奇妙で、今まで見聞きしたことのないものであるから、これを出雲丸の乗組員に問うたところ、「支那における陸と船舶の連絡用の船である。」という答えであった。

無人島であるから樹木は繁茂しているが大木はない。野鳥にはカラスやタカ(9月であるから沖縄本島と同じく渡り鳥であろう)、ウグイス・ミミズク・メジロ・ハトにどがおり、海鳥の中で最も多いのはアホウドリである。この鳥は魚釣島の西南岸にある少しばかりの白砂を吹き寄せた地域より上部の谷間に至る一帯に地面が見えないほどに群集している。おそらくは数万匹はいるであろう。皆砂あるいは草葉を集めて巣となし、雌(メス)は卵を抱き、雄(オス)は雌を保護しまた養うようである。この鳥は日本名『アホウドリ』又『トウクロウ』又『バカドリ』等の名前がある。もとより無人島に棲息するのだから人を恐れるということがない。私たちが言っていたことは、「人を恐れないのだから、ひとつ生け捕りにしようではないか」と。それで皆先を争って行きその首を握って捕獲する。鳥は抵抗しないからそれこそ簡単なもので、両手に抱え、あるいは翼を結んだり、足を縛るものもいる。剛な者は、右手に三羽、左手に二羽をたずさえて以って意気揚々たるものである。私たちが我を忘れて卵を拾っても飛び去ることもない。あっという間に数十羽と数百の卵を取ることができた。則ちこれが天皇陛下にご覧戴いたアホウドリである。この鳥は海鳥の中で最大のもので、体重およそ6kgばかりもある。その肉は臭気があるが食料に適すと言う。今書籍を取り出して調べるとDiomedea屬にし、英語のAlbatrosと称するものであろう。コウモリの大なるものは大東島等に同じように棲息すると想像するけれども獣類はいないようである。







・・・・・・・・・【原文】・・・・・・・・・


記事名: 尖閣列島探檢記事
著 者: 黒岩恒
雑誌名: 地學雑誌
巻 数: 第拾貳輯−第百四拾巻 
頁 数: 479頁9行〜480頁17行
発行年: 明治三十三年八月
発行元: 東京地學協會


○沖縄縣五等屬石澤兵吾か明治十八年十一月四日附差出したる報告書に曰く
明治十八年十月二十九日午后四時西表島船浮港出帆針を西北に取り進航し翌三十日午前四時數海里を隔てヽ屹然として聳へたるものあり即ち魚釣島なり仝八時端艇に乘し其西岸に上睦するも峻坂なるを以って容易に登ること能はず沿岸は又巨岩大石縦横にあり且つ往々潮水の窟に注ぎ入るあつて歩行自由ならず故に漸く其南西の海陲鳰躱弔靴徳甘腓鯀蠅垢襪謀腓亮廻恐くは三里を超えざるへし而して内部は巨大の岩石より成立ち満面『コバ』樹阿旦榕藤等大東島の如く沖縄本島と仝種の雑草木を以って蔽ひ間々渓間より清水流るれとも其量多からす平原なきを以って耕地に乏し海雎ぢ欧防戮爐鯒Г譴箸眩稲の地勢なるか故に目下濃漁の両業を營むに便ならす然れとも其土石を察するに稍入表群島中内離島の組織に類して只石層の大なるを覺ゆるのみ依是之を考ふれは煤炭又は鉄鉱を包含せる者にあらさるか若し果して之あるに於ては誠に貴重の島嶼と言はさるべからず、該島は本邦と清国との間に散在せるも以って所謂日本支那海の航路なり、故に今も各種の漂流物あり小官等の目撃せしものは或いは琉球船と覺しき船板帆檣或は竹木或は海綿漁具就中最目新しく感じたるは長二間半許幅四尺斗りの傳馬船の漂流せしものなり形甚だ奇にして曾て見聞せさるものなれば之を出雲丸の乘組員に問うに曰く支那の通船なりと答へり
島地素より人蹟なけれは樹木繁茂すれとも大木は更になし野禽には鴉鷹(白露の候なれば沖縄と仝しく渡りたるものと見ゆ)鶯鴟目白鳩等にして海禽の最多きは信天翁とす此鳥魚釣島の西南霈しく白砂を吹寄せたる渓間に至るの間地色を見さる迄に群集す實に數万を以って算すべく而して皆砂或は草葉を集めて巣となし雌は卵を抱き雄は之を保護し又養ふか如し此鳥和訓『アホウドリ』又『トウクロウ』又『バカドリ』等の名あり素より無人島に棲息せるを以って曾て人を恐れず小官等共に語て曰く人を恐れされは宜く生捕となすべしと各先を爭ふて進み其頸を握る太た容易なり或は兩手に擁し或は翅を結て足を縛するあり或は右手に三羽左手に二羽を携て以って揚々得色或は卵を拾う等我を忘れて爲せとも更に飛去することなければ暫時數十羽數百卵を得たり則ち携帯し以って高覧に供せしもの是なり此鳥海禽中最大なるものにして量凡そ十斤に内外す嗅氣あれとも肉は食料に適すと云ふ今書に就き調ふるにDiomedea屬にして英語のAlbatrosと稱するものなるへし蝙蝠の大なるものは大東島等に均しく棲息すと想像すれとも獸類は別に居らさるべし、





 

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尖閣列島探検記事 第3回 

黒岩恒著「尖閣列島探検記事」 −第3回−

魚釣島(2)
 1琉球国志略巻の四
 2.沖縄県美里間切詰山方筆者大城永常が沖縄県庁に差出した書面

(地學雑誌第12輯第140巻478頁17行-479頁08)




・・・・・・・・・【現代文】・・・・・・・・・

尖閣列島探険記事


○琉球国志略巻の四に曰く

琉球在海中、與浙閩地勢東西相値、但平衍無山、航行海中、以山爲準、福州往琉球、出五虎門、取鷄籠山、花瓶嶼、彭家山、魚釣臺、黄尾嶼、赤尾嶼、姑米山、馬齒山、収入那覇港

【読み】 琉球は海中に在り、浙閩(せつびん)と地勢東西相値す、但し平衍(へいえん)にして山なし、海中を航行するに、山を以て準と爲す、福州より琉球へ往くに、五虎門を出で、鷄籠山を取る、花瓶嶼、彭家山、魚釣臺、黄尾嶼、赤尾嶼、姑米山、馬齒山、那覇港に収め入る

【意訳】 琉球は海中に在る。地勢は東西で言えば浙閩(※01)地方と相同じである。但し平衍(※02)にして山はない。海中を航行するから、島を目標にして進む。福州より琉球へ往くには、五虎門を出で、鷄籠山に進路を取り、花瓶嶼、彭家山、魚釣臺、黄尾嶼、赤尾嶼、姑米山、馬齒山、と順番に辿って那覇港に入る。


※01【浙閩】(セツビン・ビンは門に虫) 今の浙江省と福建省のこと。福建省は閩(ビン)族が住んでいたところである。閩(ビン)については、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%B3を参照。

※02【平衍】(へいえん) 平らで広い様子。



○沖縄縣美里間切詰山方筆者大城永常か明治十八年九月十四日 沖縄縣廳に差出したる書面に曰く

魚釣(ヨコン)島と申所は久米島より午未の間に有之島長一里七八合程横八九合程、久米島より距離百七八里程島嶺立にして松木樫木其外樹木繁茂且山中より流水有之霏塲廣く及船碇宿所有之模樣且亦諸鳥の儀群り船に飛來りて人を不恐交接して食物を拾食ひたり尤も鮫鯖抔船端潮涯に寄り來る故に、縄掛けを以って鮫の尾を結付採揚け申たる事御坐候

魚釣(ヨコン)島と申す所は久米島より午未(不明)の間にこれ有る島にて、長い所で一里七八合程(※03)横八九合程(※04同約1330m)、久米島より距離百七八里程(※05)。島は嶺が険立しており、松や樫の木、その他にも樹木が繁茂し、且つ山中よりは流水がある。浜足場(※06)は広く、船の碇を降ろす場所もあるようです。また色々な鳥が群って船に飛び来て、人を恐れることもなく交尾して、食物を投げてやればこれを拾い食べる。尤も鮫や鯖なども船の立てる波に寄って来るから、縄を掛けて鮫の尾を結び付けこれを引き上げたこともこともあります。

※03【長い所で一里七八合程】
管理人の推定(尖閣諸島の領有権問題)では約3550m
 http://senkakujapan.nobody.jp/page005.html
Weblio辞書  東西3.5km
 http://www.weblio.jp/content/%E9%AD%9A%E9%87%A3%E5%B3%B6
 
※04【横八九合程】
管理人の推定(尖閣諸島の領有権問題)では約1330m
 http://senkakujapan.nobody.jp/page005.html
Weblio辞書  南北1.3km
 http://www.weblio.jp/content/%E9%AD%9A%E9%87%A3%E5%B3%B6

※05【霏塲(浜足場)】  海岸に沿った平地

※06【霏塲】 海や湖の、水ぎわに沿った平地










・・・・・・・・・【現代文】・・・・・・・・・

尖閣列島探険記事

釣魚嶼(2)
 1琉球国志略巻の四
 2.沖縄縣美里間切詰山方筆者大城永常が沖縄縣廳に差出したる書面
(地學雑誌第12輯第140巻478頁17行-479頁8行)



○琉球国志略巻の四に曰く

琉球在海中、與浙閩地勢東西相値、但平衍無山、航行海中、以山爲準、福州往琉球、出五虎門、取鷄籠山、花瓶嶼、彭家山、魚釣臺、黄尾嶼、赤尾嶼、姑米山、馬齒山、収入那覇港




○沖縄縣美里間切詰山方筆者大城永常か明治十八年九月十四日 沖縄縣廳に差出したる書面に曰く

魚釣(ヨコン)島と申所は久米島より午未の間に有之島長一里七八合程横八九合程、久米島より距離百七八里程島嶺立にして松木樫木其外樹木繁茂且山中より流水有之霏塲廣く及船碇宿所有之模樣且亦諸鳥の儀群り船に飛來りて人を不恐交接して食物を拾食ひたり尤も鮫鯖抔船端潮涯に寄り來る故に、縄掛けを以って鮫の尾を結付採揚け申たる事御坐候






 

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尖閣列島探検記事 第2回 
黒岩恒著「尖閣列島探検記事」 −第2回−

釣魚嶼(1)
 1.釣魚嶼は沖縄名「ヨコン」
 2.英海軍水路誌支那海第4巻
 3.日本水路誌第2巻

(地学雑誌第12輯第140巻476頁14行-478頁16行)



・・・・・・・・・【現代文】・・・・・・・・・

尖閣列島探険記事


○魚釣嶼
釣魚嶼、一に釣魚臺とも言う。或いは和平山の名称がある。海図にHoa-pin-su、とあるのがそれである。沖繩では久場(クバ)島を以って知られている。しかし沖縄人の行った本島探検の歴史について考えるときは、古来からヨコンの名によつて沖縄人に知られていたものである。当時、久場島という名称は、本島の東北なる黄尾嶼のことを言っていたのだが、近年に至り、如何なる理由によるのか呼称が入れ替わり、黄尾嶼を「ヨコン」、本島を久場島と呼ぶようになった。それにはそれなりの理由があるのだろうから、今にわかに改めようとは思わない。本島の事情について余(私)が探検する前に既に多少世に知られた記述があるので参考のために、先ず既に知られた事実を全て取り上げてることにする。


○英海軍水路誌支那海第四巻の記事に曰く
Hoapinsu, the south-westen island of an isolated group about 90 miles northward of the West end of Meiaco sima, is 1,180 feet high, with a steep cliff on the southern side of the summit, and a gradual slope on the eastern side. This island is barren and uninhabited; there are pools of fresh water, with fish in them, on the eastern slope.
 
【意訳】 魚釣島は宮古島の北西約90マイル(※01)の地点にある孤立した南西諸島である。最も高いところで1,180フィート(※02)、険しい崖が頂上の南側面にあって、そしてゆるやかな斜面が東側にある。この島は、不毛の地で、無人です。魚がいる淡水の水たまりが東斜面にある。

※01 【90マイル】(約145km) 1マイル=約1609m。実際は約190kmである。
※02 【1,180フィート】(360m) 1フィート=30.5cm。実際の最高処は奈良原岳362mである。

 
○日本水路誌第二巻に曰く
   ホアピンス島(釣魚嶼)
○西表島の北方凡(およ)そ八十八里(※)にあり。
○この島の南側最高地点(1.181咫・358)より西北方向は、削り取ったような景観をしている。
○この島に淡水の絶えることがないことは、諸天然池に淡水魚の育っていることを以ってしても知ることができる。これらの池は皆海と連絡し、水面には浮萍(藻の一種)が一面に茂生している。
○島の北面は北緯25度47分7秒、東経123度30分30秒に位置す。
○この島は6・7名の人が生活するにも不十分であり住居の形跡はない。


※03 【88里】1里は4kmだから88里は352km。西表島と魚釣島の距離は170km弱であるから、日本水路誌の言う1里は4kmではないようである。
※04 【1.181咫】約358m(1咫=30.3cm。咫=尺)。実際の最高地点は奈良原岳362mである。
※05 【浮萍】(ふへい) 藻の一種。浮き草のこと。




・・・・・・・・・【原文】・・・・・・・・・


記事名: 尖閣列島探檢記事
著 者: 黒岩恒
雑誌名: 地學雑誌
巻 数: 第拾貳輯−第百四拾巻 
頁 数: 477頁14行〜478頁16行
発行年: 明治三十三年八月
発行元: 東京地學協會
 

○魚釣嶼
釣魚嶼一に釣魚臺に作る、或は和平山の稱あり、海圖にHoa-pin-su、と記せるもの是なり、沖繩にては久塲(クバ)島を以って通す、左れど本島探撿(沖縄人のなしたる)の歴史に就きて考ふるときは、古來ヨコンの名によつて沖縄人に知られしものにして、當時に在つては、久塲島なる名稱は、本島の東北なる黄尾嶼をさしたるものなりしが近年に至り、如何なる故にや彼我呼稱を互換し、黄尾嶼を「ヨコン」、本島を久塲島と唱ふるに至りたれば、今俄に改むるを欲せず、本島の事情は余か探撿の前旣に多少世に知られ居るものあれぱ参考の爲、先旣知の事實を網羅せんとす、


○英海軍水路誌支那海第四巻の記事に曰く
Hoapinsu, the south-westen island of an isolated group about 90 miles northward of the West end of Meiaco sima, is 1,180 feet high, with a steep cliff on the son(マ→u)thern side of the summit, and a gradual slope on the eastern side. This island is barren and uninhabited; there are pools of fresh water, with fish in them, on the eastern slope.



○日本水路誌第二巻に曰く
   ホアピンス島(釣魚嶼)
西表島の北方凡そ八十八里にあり○この島の南側最高處(一、一八一咫)より西北に向へる方は、削斷せし如き觀を呈す○此島に淡水の絶ゆることなきは諸天然池に淡水魚の育成せるを以って知るべし而して此池は皆海と連絡し、水面には浮萍一面に茂生す○島の北面は北緯二五度四七分七秒、東經一二三度三〇分三〇秒に位す○此島は六七名の人を支ふるにも不十分にして人居の跡なし、


 
author:senkakujapan, category:尖閣列島探検記事, 06:48
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