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書籍紹介 「尖閣研究」 高良学術調査団資料集 (4)
沖縄タイムス 「 Books 今週の平積み」
    2008年(平成20年)1月26日土曜日

「尖閣研究」 高良学術調査団資料集
(データム・レキオス発行、4800円)

島の自然知る研究成果網羅
 尖閣諸島の魚釣島は、小島であるにもかかわらず海技三百六十三メートルの山を擁し、周囲を急峻ながけに囲まれ、周辺の三角波が人を容易に近づけない、まさに絶海の孤島である。尖閣諸島の領土問題は、最近ますます紙面をにぎわしているが、実際にその地を訪れた人は沖縄県民といえども多くはないだろうし、その学術的価値については、一般にはほとんど知られていないのが実情である。尖閣諸島を取り上げた図書は幾つかあるが、それらはいずれも領有権を主題とした内容であり、尖閣諸島の自然の価値を中心に取り上げた図書は知られていない。

 高良鉄夫博士は一九五〇年以降、踏査の困難な尖閣諸島で五度の調査を企画、.生物や自然環境の学術的調査を実施し、数多くの研究成果をあげた。本書はその調査成果の概要を記録した資料集であるばかりでなく、その調査に同行した人たちの回想録や座談会の記録が収録されており、困難な中でいかに調査を実施されたかの苦労の跡をしのぶことができる。

 本書には五回の調査報告や回想録の他、貴重な動植物の解説、行政資料等が数多く掲載されている。尖閣諸島の自然に関する研究成果の大半は、一般の方が目にすることができない学術雑誌や報告書に掲載されているが、本書にはその主要な成果が収録されているので、尖閣諸島の自然の特色や価値を知るためには、絶好の資料である。

 本書で新納義馬氏が指摘しているが、八〇年ごろに島外から持ち込まれた一がいのヤギが天敵のいない魚釣島で繁殖し、九〇年ごろには数百頭にまで増殖し、植物群落を食い荒らして荒廃させている。このままヤギを放置すると、植生が破壊され、土壌が流出してがい骨のようになった太平洋の島々と同じ運命をたどることは明らかである。本書で魚釣島の危機的な状況を数多くの人に知ってもらい、一刻も早く野生化ヤギの駆除が進められることを期待したい。本書は、一度も足を踏み入れたこともなく、目先の国益だけで領有権を主張する人たちにも是非読んでもらいたい図書である。
             (横田鼻嗣・琉球大学教授)
 問い合わせは尖闇諸島文献資料編纂会、ファクス098(884)19580
author:senkakujapan, category:尖閣諸島の自然, 09:56
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「尖閣研究・高良学術調査団資料集」 について(3)
下は琉球新報、2008隼(平成20年)1月13日 日曜日の紹介記事です。

尖閣研究 高良学術調査団資料集 上下巻

国境最前線の貴重な実態

尖閣諸島文献資料編纂編著(データム.レキオス、揃い5040円)

 尖闇列島は、沖縄本島の南西約四百舛療譽轡奮い飽銘屬垢襦この海域は明治期から昭和初期にかけてカツオ漁業がさかんで、近年では海底の天然ガス資源の開発問題で国際的にも注目されている。ところが、一九五〇年代から六〇年代にかけて通算五回にわたる先駆的な学術調査が地元の沖縄で実施された事実は、一般にあまり知られていない。

 戦後まもない五〇年、琉大農学部の高良鉄夫氏が単独で魚釣島を踏査したことに始まり、さらに五二年、五三年、六三年、六八年と調査団が組織された。教員、学生、琉球政府や気象庁の職員、警察官、ジャーナリストなど延べ四十三人が参加した。

 彼らは食杜や燃料の確保、募金集めにも奔走しながら、さまざまな困難を乗り越えて調査を実施したのである。こうした経緯をまとめた大冊の資料集が発刊されるのは、今回が初めてである。参加者の若々しい情熱とエネルギーに満ちあふれたこの本は、読者に忘れがたい印象と感銘を与える。

 「海鳥の楽園」といわれる無人島に上陸した一行は、カツオドリやセグロアジサシの大群にまず驚かされた。危険な岩場をよじ登ってヘビを捕獲したり、ヤプ蚊の大群に襲撃されるなど、まさにアドベンチャー・ワールドだ。魚釣島、南小島、北小島では珍しい動植物を調査し、絶滅にひんした国の天然記念物アホウドリの生息を南小島で確認したのも貴重な成果である。

 動植物、海洋気象、水質など自然科学の学術論文や写真、さらに新聞記事や追想録、座談会などのデータも豊富に収録されており、本書の興味は尽きない。

 なお、尖閣海域では六〇年ごろから台湾漁船の「不法操業」が頻発したため、法務省入国管理局・琉球政府による取り締まりが強化された。この間題は、まさに「国境」の最前線の実態であり、当事者でなければ記せない貴重な証言が、本書の価値をいっそう高めている。

 東シナ海の島しょ研究の歴史に残る資料集といえよう。編集発刊に尽力された方々に深く敬意を表する次第である。
 (真栄平房昭・神戸女学院大学教授)
author:senkakujapan, category:尖閣諸島の自然, 09:18
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「尖閣研究・高良学術調査団資料集」 について(2)
先ずはこの書籍の新聞社等の紹介文からです。
今回は、出版社のデータム・レキオスの紹介文です。


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戦後〜本土返還前の沖縄、尖闇諸島調査を実施
   その中心となった「高良学術調査団」とは−

■無人島「尖閣諸島」
 尖閣諸島は東シナ海に浮かぶ絶海の孤島です。
 周辺海域には豊富な地下資源が埋蔵していると目されることから、しばしば帝有権問題が日本・中国・台湾間で取り沙汰される国境の島でもあります。
 また、1971年には世界的希少種であるアホウドリが確認されたものの、繁殖地としての同諸島に対する認識は低く、未だ「領有権、資源開発で揺れる無人島」の域に止まっています。

■学術報告集成「高良学術調査団資料集」
 一般には余り認知されていませんが、過去に尖閣諸島で数々の調査が実施、主に尖閣諸島における動植物の生態系調査、研究が積み重ねられてきました。
 中でも戦後1950〜60年代。米国信託統治の沖縄にあって、高良鉄夫博士(元琉球大学学長)率いる学術調査団は第一次〜五次に亘り、尖閣諸島の生物相・富源調査を実施しています。
 同資料集にはこれらの調査の全容−40数編の報告書・論文・関連新聞記事、加えて調査メンバーの思い出記や当時の貴重な写真等、数多くの資料を集録しました。

■「海鳥の楽園」「生物相の宝庫」の全貌が明らかに
 沖縄返還前の調査だけに、隠れたエピソードは尽きず。1950年、第一次調査、高良博士の魚釣島初上陸の苦労話。52年、第二次調査、琉球大学・琉球農林省資源局との合同調査でのツツジや陸産貝の新種発見秘話。53年、第三次調査、琉球大学の尖閣諸島現地調査実習に参加した学生らの体験談、沖縄県財界人による支援、同諸島に棲息する海鳥の調査、洋上にアホウドリを確認等。63年、68年、第四・五次調査、明らかになった外国人の不法上陸による海鳥乱獲の模様を報告(当時、高良博士は保護措置を提言。のち石垣市や琉球政府、米国民政府が急遽、領土保全のため「不法入城取締」「行政標柱建立」「不法上陸警告板設置」に蹄み切った経緯があります。)*本書の「行政資料」篇に詳細。
  また、米軍統治下での尖閣諸島をめぐるさまざまな出来事。他、特集1「尖閣の自然」ヤギ食害で目下、崩壊の危機にある魚釣島の悲惨な実態。特集2「アホウドリ」アホウドリ王国復活の兆しを見せる南北小島の状況等を集録しています。

 これまでに尖閣諸島の領有権、地下資源問題等数多く議論がなされ、関連書簿も多数出版されていますが、同諸島の環境や自然については、つい見過ごされがちだった様に思います。
 勿論地元沖縄からの情報発信がおろそかだったことも主因の一つでしょう。

 本書で無人島尖閣諸島の生きている自然を感じていただければ幸いです。
___________________________________________________________
「尖閣研究 高良学術調査団資料集」(上・下)
尖閣諸島文献資料編纂会
B5判 上巻392貴、下巻400真
定   価 本体4800円+税
発 売 日 2007年11月11日
発 行 所 データム・レキオス
〒902-0066 沖縄県那覇市大道40番地
       FAX 098-884-1958
___________________________________________________________
author:senkakujapan, category:尖閣諸島の自然, 09:10
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「尖閣研究 高良学術調査団資料集 」が昨年発刊されていました。
「尖閣研究 高良学術調査団資料集 」

尖閣諸島の学術調査集発刊 日本の実効支配を裏付け

   (世界日報 08/1/26)
 尖閣諸島文献資料編纂会主宰 國吉真古氏に聞く

戦後から本土復帰前 県民独自で調査・編集
   山羊の食害の影響を懸念 アホウドリ再繁殖に期待

 沖縄本島から南西約四百舛療譽轡奮い飽銘屬垢訐躋媾島。一九五〇年から六八年にかけて計五回行われた学術調査の資料を集めた「尖閣研究 高良学術調査団資料(上下巻)」(尖閣諸島文献資料編纂〈へんさん〉会・編集、データム・レキオス発行)がこのほど、発刊された。高良鉄夫琉球大学名誉教授(94、元琉球大学学長、農学博士)を中心に行われた動植物の生態などの調査で、多くの資料が収録されている。発刊の経緯や本の内容などを、同編纂会主宰の國吉真古氏に聞いた。

 ――「尖閣研究」を編集、発刊するようになった経緯は。

 沖縄の本土復帰前後の七〇年代に油田問題が起きて、尖閣諸島に興味を持った。四年前のある日、沖縄協会主催の授賞式に参加したところ、高良博士に偶然会うことができ、本気で資料収集をしようと考えた。

 当時、東京の雑誌社から、明治時代に尖閣諸島を開拓した古賀辰四郎さんの写真と開拓村に日の丸がはためいている写真がないかとの問い合わせがあった時、高良調査団の話をしたが、相手は全く知らなくて、大変悔しい思いをした。沖縄だって、戦後一生懸命に調査をしてきたという思いがわいて、高良調査団を世に知らしめようと決意した。

 ――「尖閣研究」の調査はどのように行われたか。

 収録した調査は大きく分けて五つある。高良博士が初めて上陸した五〇年三月−四月の第一回単独調査は、島の生物相調査だ。二回目は、五二年の琉球大学と当時の琉球政府農林省資源局との合同総合調査で、学生三人が参加した。

 五三年には、琉球大学学生十一人を率いた現地調査実習を兼ねた調査。その時の調査で、絶滅したとみられていた天然記念物アホウドリの生息を確認したことが、本の編纂時の座談会で明らかになった。

 六三年、琉球政府がアホウドリ調査を委託して行われたのが第四次調査だ。六八年には第五次調査として、鉱物資源調査と海鳥調査が実施された。調査内容は、島の生態観察、水質、地質、付近の海域の潮流など総合調査で、新種の植物や陸産貝などを発見している。調査に参加したのは、延べ四十三人で、大学教授、学生、琉球政府と気象庁の職員のほか、警察官、マスコミ関係者などいろいろな職業の人がいた。

 また、第四・第五次調査では、台湾人ら外国人の不法上陸による海鳥乱獲の模様が報告されている。当時、高良博士は保護措置を提言したが、その後、石垣市や琉球政府、米国民政府が、領土保全のため「不法入域取締」「行政標柱建立」「不法上陸警告板設置」に踏み切った。こうした資料も詳細に掲載されている。

 ――本の特徴は。

 五回とも高良名誉教授がかかわっている。資料集には、個々の調査時に発表された調査結果や新聞記事などを年代順にほぼすべて記載しているほか、調査団員の対談や生存している調査団員二十五人の思い出の手記も集録してある。

 現在、尖閣諸島には上陸できない状況だが、魚釣島には山羊(やぎ)の食害への懸念がある。また、南北両小島でのアホウドリの再繁殖という期待もある。このため特集として「尖閣の自然」で、山羊食害を扱い、現在崩壊の危機にある魚釣島の悲惨な実態を詳細に記しているほか、アホウドリ王国復活の兆しを見せる南北両小島の状況も集録している。調査団のその後の思いとか考察などを詳しく書いてあるのも特徴の一つだろう。

 ほかには、調査当時の写真。調査団の皆さんが秘蔵しているものを多数提供してもらっており、尖閣諸島の研究には貴重なものだと思う。

 ――「尖閣研究」の学術的、文献的な意義は。

 尖閣に関する一つの資料集として個々の資料を統合していることに意義がある。これまで、尖閣に関する資料を集めようとすると、個々に当たらなくてはならなかった。

 もう一つは、尖閣諸島の領有権をめぐって、日本政府は台湾や中国と対立している。日本の外務省は、こうした本を作れない。外務省は、学術調査はやらない。沖縄県民が独自で、これまでの調査をまとめることができたことも重要な内容だと思う。「これなら、世界に通用するものだ」と高良博士は評価してくれた。

 できれば、「尖閣研究」を英語や中国語に翻訳してみたい。そのことで、尖閣諸島が日本の領土であったこと、実効支配していることを伝えられる。五十年以上前の調査がまとめて出版された。「東シナ海の島嶼(とうしょ)研究の歴史に残る資料集」との評価もある。今だからこそ、「尖閣研究」は、意義がある。

 くによし まさふる 昭和19年沖縄県那覇市生まれ。昭和42年茨城大学文理学部卒、昭和43年から沖縄県で高校教諭、民間企業勤務を経て、平成16年、高良鉄夫琉大名誉教授に出会い、尖閣諸島文献資料編纂会を主宰。

平成19年11月に「尖閣研究 高良学術調査団資料集」を発刊。


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【管理人より】
掲示板にも書きましたがねデータム・レキオス社に直接電話して注文いたしました。
まだ残部があるにようです。
50年前の尖閣の状況が分かるかと思うとどきどきします。
到着したら詳細を掲示します。

author:senkakujapan, category:尖閣諸島の自然, 07:14
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長谷川博氏のアホウドリの研究から (2)
(尖閣諸島南小島の繁殖状況について<この題名は私が勝手につけたもの>)

http://www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/ahoudori/research/report/kinkyo/kinkyo3.html
3.尖閣諸島南小島

    2001年3月6〜7日に尖閣諸島を空から調査し、南小島に着陸して一泊すること
ができた。これまでは日帰り調査だったため、くわしい観察は不可能だったが、
今回は余裕をもって南小島をくまなく調査することができた。
ひなの数は、人が近づくことのできない断崖の中段にある狭い岩棚に12羽、島
の頂上部の斜面に12羽、合わせて24羽だった。
ひなの数は、1988年4月には岩棚に少なくとも7羽で、91年3月には岩棚に10羽、
92年4月にも岩棚に11羽だったから、今年は約2倍に増え、しかも営巣範囲が
拡大した。

ひな以外に、合計79羽の成鳥と繁殖年齢前の若鳥を観察した。岩棚に41羽、頂
上部に36羽がいて、隣の北小島の頂上部の平地にも2羽がすわっていた。
もちろん、これらは尖閣諸島の集団の一部にすぎず、海に出て採食していた鳥
は含まれていない。

これらの観察から、鳥島での観察にもとづいて、この集団の大きさをおおまか
に推測すると、繁殖つがい数は約40組で(繁殖成功率を60%と仮定)、総個体
数は約170羽となる。したがって、2001年6月には、巣立ったひなと合わせて約
200羽になったと考えられる。




http://www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/ahoudori/research/report/kinkyo/kinkyo4.html
4. 2集団の間の個体の交流

    南小島で調査中に足環のついた鳥がいるかどうか、50羽ほどをていねいに観察
した。しかし、1羽も標識個体を観察することができなかった。つまり、鳥島
から尖閣諸島に移入した個体は確認されなかったことになる。
伊豆諸島鳥島では、滞在中に少なくとも5羽の若い未標識の鳥(羽色から3〜8
歳と推測)が観察され、そのうちの1羽はひなに給餌していた。

私は、鳥島でほとんどすべてのひなに足環で標識してきたから、足環の脱落が
ほとんどないとすれば、これらは鳥島以外、つまり尖閣諸島で生まれた個体で
あると推測することができる。
まだ、直接的で積極的な証拠は得られていないが、2集団間で個体の交流があ
る可能性が非常に高い(少なくとも尖閣諸島集団から鳥島集団への移入)。

なお、弘前大学農学生命科学部の黒尾正樹さんたちと共同で、鳥島集団の遺伝
学的多様性を解明している(2001年10月の日本鳥学会で研究発表、後述)。




http://www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/ahoudori/research/report/kinkyo/kinkyo5.html
5. むすび

    鳥島でも南小島でも、アホウドリの個体数は順調に増加し、総個体数はおよそ
1500羽に回復した。そして、アホウドリは“復活の離陸”を開始した。
もし、陸上(営巣地)と海洋(採食域)の両環境が今後も現状で維持されてア
ホウドリ集団が順調に増加すると仮定すれば、鳥島集団の繁殖つがい数は、2005
年に約300組を超え(約200羽のひなが巣立ち)、2008年ころ400組、2010年に
は約500組、2020年には約1000組になると予測される。

そして、尖閣諸島の集団は、鳥島集団の個体数増加カーブを20〜25年遅れてた
どることになると考えられ、繁殖つがい数は、2005年に約50組、2010年には約
75組、2015年には100組、2020年には150組を超すと推測される。

鳥島や尖閣諸島のほかでは、2000-01年のシーズンに、北西ハワイ諸島のミッ
ドウェー環礁に、鳥島で生まれた4歳(新加入)、8歳(新加入)、13歳、14歳、
19歳の5個体が訪れた。
それらの潜在的繁殖能力を無駄にしないように、2000年11月から、アメリカ連
邦政府魚類野生生物局ミッドウェー環礁国立野生生物保護区事務所は「デコイ
作戦」を開始した(これには2000年、「アホウドリ基金」や「オーシャニック・
ワイルドライフ・ソサエティ」、積水ハウス梅田オペレーションズ株式会社が
協力した。後述)。

まだ、上記の2羽の新加入を除けば、新つがいの形成という具体的な成果は得
られていないが、鳥島から巣立つひなの数が増え、それにつれてミッドウェー
島に移入する個体が増えれば、いずれここに新しいコロニーができる可能性が
ある。

さらに、2000-01年繁殖期には、小笠原諸島聟島列島の嫁島でも1羽のアホウ
ドリが観察された(「小笠原諸島でアホウドリが“営巣”」という報道がなさ
れたが、東京都小笠原支庁自然公園係によって収集されたさまざまな観察結果
から判断すると、繁殖の積極的証拠がなく、これは私の判断では「誤報」だと
考えられる。
孵化しなかった卵の大きさやその他の状況証拠から判断して、クロアシアホウ
ドリの放棄卵を抱いていた可能性が高い。あるいは、その卵を乗っ取ったこと
も考えられる)。

このように、アホウドリの個体数の増加にともない、繁殖地の島以外にもアホ
ウドリが訪れるようになった。これを、かれらの繁殖分布拡大の傾向とみなし
ても間違いではないだろう。

アホウドリ再発見50周年の年に、私たちはかれらの復活への離陸を目のあたり
にしている。かれらの助走をもう少し後押しすれば、20年後には目標の5000羽
を超え、アホウドリたちは完全復活を成し遂げるにちがいない。
そのことに積極的に関わってきた私たちは、それを大いに喜び、素直に誇りと
しよう!

author:senkakujapan, category:尖閣諸島の自然, 12:57
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長谷川博氏のアホウドリの研究から (1)
http://www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/ahoudori/research/report/senkaku/snkak01.html
尖閣諸島におけるアホウドリの歴史と繁殖現状 

  1.はじめに
     かつて、尖閣諸島ではアホウドリが大集団をなして繁殖していた。

 1845年6月16日 、英国の探検測量船サマラン号による東洋探検隊は、尖閣諸島に立ち寄り、黄尾嶼でアホウドリを観察した。
  それから40年後の1885年10月23日、石沢兵吾(沖縄県属)は 無人島の尖閣諸島を調査し、魚釣島で数万羽のアホウドリが営巣していることを観察 した。その後、1891年と1893年に、古賀辰四郎の命で、伊沢弥喜太が尖閣諸島を探検 ・調査し、海産物やアホウドリを採集した(黒岩1900による)。  

 この調査結果にもとづいて、古賀氏は尖閣諸島の開拓が有望なことを見込み、同諸島を開拓する許可を政府に申請したが、これらの島々の帰属問題が関係国間で未解決 だったため、政府は開拓の許可を見送った。

 1895年、日本国政府は、勅令によって尖閣諸島を領土とし(1895年1月14日の閣議決 定)、翌96年に古賀辰四郎にこれらの島々の開拓する許可を与えた。
  古賀氏は1897年 から魚釣島に、98年から黄尾嶼に人を移住させ、集落をつくり、アホウドリの羽毛採取や漁業を軸とする無人島開拓に着手した。これによって、毎年15-16万羽のアホウ ドリが捕獲され、アホウドリの個体数は急速に減少した(黒岩1900、宮嶋1900-01)。  

 古賀氏の要請で1900年5月10日に黄尾嶼を調査した宮島幹之助は、20-30羽の小群をあちこちで見ただけであった。
  同年5月12-13日に、同じく古賀氏に派遣された黒 岩恒は、魚釣島を調査し、道安渓でひなをかなり多く観察し、成鳥3羽を生け捕りに した。
  この後も捕獲が続いたため、アホウドリの数は激減し、1910年ころには黄尾嶼 の4カ所、魚釣島の2カ所で細々と繁殖するだけになったという(恒藤1910)。  

 それから約20年後の1939年5月27日、正木任は魚釣島や南小島、北小島に上陸したが、アホウドリを1羽も観察することができなかった(正木1939)。  

 戦後の1950年3月28日-4月9日、1952年3月27日-4月28日に、琉球大学農学部の高 良鉄男教授らは尖閣諸島の生物相について調査を行ない、黄尾嶼(当時、アメリカ軍 の射爆場となっていた)を除く各島に上陸したが、アホウドリを観察することはできなかった。

 さらに、1963年5月15-21日にもこれらの島々の調査をしたが、やはりアホウドリの姿を確認できなかった(高良1963など)。そのため、尖閣諸島のアホウド リ繁殖集団は消滅したと考えられていた。その後も、1970年11月19日-12月12日に、九州大学・長崎大学探検部の尖閣列島合同学術調査隊(1973)が上陸して調査したが 、このときも結局、アホウドリは確認されなかった。

http://www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/ahoudori/research/report/senkaku/snkak02.html
2.アホウドリ再発見と繁殖の確認
     しかし、その翌年、1971年4月1日、琉球大学理学部の池原貞雄教授らは南小島の南向きの断崖の中段にある岩棚で、12羽のアホウドリ成鳥を観察した。これは、確実な記録としては、尖閣諸島における70年ぶりのアホウドリの再発見であった(琉球大学 1971)。ただし、このとき、ひなの姿は観察されなかった。

 その後、池原教授らは1979年3月10-18日に魚釣島の学術調査を行なったが、そこではアホウドリは観察されなかった。この時に南小島に上陸できなかった池原教授は 、3月20日にヘリコプターで空中から南小島を調査し、16羽(成鳥13羽と若鳥3羽)を 観察した。しかし、ひなの姿は発見されなかった。

 翌1980年2月25日から3月1日に、池原教授らは黄尾嶼の学術調査を行なったが、アホウドリは確認されなかった。その直後の3月3日にヘリコプターで南小島を観察し、35羽(成鳥28羽、若鳥7羽)を確認 したが、ひなの姿はやはり見つからなかった。そして、同年5月2日の再調査でも、19 羽が観察されただけで、ひなは発見されなかった。

 1988年4月13日、朝日新聞社の小型ジェット機によって、空中から南小島を観察する チャンスを得た私は、断崖中段の岩棚で数羽のひなを観察した。
 この時に撮影された写真を分析して、少なくとも7羽のひなを確認した。こうして、再発見から17年後にアホウドリの繁殖が実際に確認され、尖閣諸島南小島は伊豆諸島鳥島につぐ第2の繁殖地となった。  

 その後、私は1991年3月28日にフジテレビの取材チームといっしょに南小島に上陸 して、10羽のひなと18羽の成鳥を観察し、翌年の1992年4月29日には朝日新聞社のチ ームと上陸して、ひな11羽と成鳥1羽を観察した。そして、これらの観察結果から、 南小島の繁殖集団が少しずつ増加していると判断した。しかし、そのあと突如、領土 問題が再燃し、調査は困難になってしまった。


http://www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/ahoudori/research/report/senkaku/snkak03.html

3.アホウドリの個体数増加と営巣分布拡大
     新世紀を迎えた2001年は、領土問題が鎮静化したことに加えて、伊豆諸島鳥島での アホウドリ再発見から50周年、尖閣諸島での再発見からは30周年にあたる記念すべき年であった。これを機に、アホウドリの繁殖状況がこれまで以上にくわしく調査された。

(1)2001年3月の調査  

 2001年3月6-7日、朝日新聞社のヘリコプターによって黄尾嶼や魚釣島、南・北小島を空から調査し、南小島に着陸して一泊し、この島をていねいに調査することがで きた。この結果、黄尾嶼と魚釣島からはアホウドリ類の姿を発見することはできなか った。

 北小島ではクロアシアホウドリを観察したが、空中からはアホウドリを確認で きなかった。
 南小島で観察したひなの数は、人が近づくことのできない断崖の中段にある狭い岩棚 に少なくとも12羽、島の頂上部の緩らか斜面にも12羽、合わせて24羽だった。
  ひなの数は、1992年から9年間で2倍以上に増え、しかも営巣区域が南小島の頂上部に拡大し ていた。

 ひな以外に、合計79羽の成鳥と繁殖年齢前の若鳥を観察した。すなわち、断崖中段の 岩棚に41羽(成鳥33羽、若鳥8羽)、頂上部斜面に36羽(成鳥17羽、若鳥19羽)、さ らに隣の北小島中腹の平坦地にも2羽(成鳥2羽、若鳥0羽)がすわっているのを南小島から望遠鏡で観察した。この複数羽の観察から、私は、北小島でもアホウドリが営巣している可能性が非常に高いと推測した。

(2)2001年12月、北小島での営巣確認  

 2001年12月24日、沖縄テレビ放送の水島邦夫氏はヘリコプターから尖閣諸島を取材 ・撮影した。このとき、水島氏は南小島の従来の繁殖地ばかりでなく、私の推測を確 かめるため、北小島中腹の平坦地の状況をもビデオに撮影した。その映像は、南小島 の岩棚に27羽(25巣)、山頂部の斜面に少なくとも20?30羽(画像が安定せず確定不 可能)のアホウドリだけでなく、北小島の西側にある断崖の上部の岩が露出した平ら な場所に1羽の成鳥が巣にすわって抱卵している様子をもはっきりと映し出した。こ の、北小島でのアホウドリ営巣の確認は約100年ぶりである。 

(3) 2002年2月の調査  

 2002年2月25日から27日に、北小島で約100年ぶりに確認されたアホウドリの卵から ひなが誕生しているかどうかを確かめ、南小島のひなの数を調べるため、沖縄テレビ 放送の取材に同行した。北小島では無事1羽のひなが生まれていた! 
  南小島では断 崖の岩棚に16羽、頂上部の斜面に16羽のひなが育っていた。ひなの数は合わせて33羽 であった。 このときに観察したひな以外の個体数は合計81羽で、南小島の断崖の岩棚で39羽(成 鳥32羽、若鳥7羽)と頂上部斜面35羽(成鳥15羽、若鳥20羽)、北小島(成鳥0羽、若鳥4羽)であった。
  2001、2002年とも、成鳥・若鳥の観察数は、南小島の従来営巣地(岩棚)では成鳥の 比率が高い(それぞれ80%、82%)のに対して、新営巣地(頂上部斜面)では若鳥の ほうが多かった(53%、57%)。体に黒褐色の羽毛を残している若鳥型から、それら をほとんど残さず全身に白い羽毛をまとう成鳥型になるには、およそ10年(雄では早 くて8年、雌では12年以上かかる場合もある)を要するから、従来営巣地がほぼ満杯 になったために(成鳥でほぼ占められている)、比較的最近(10年以内か)になって 、新しい営巣地に若鳥が定着したと考えられる。

(4)2002年5月の調査

 2002年5月7-8日に、沖縄テレビ放送の取材に同行して、尖閣諸島のアホウドリを調査した。北小島で約100年ぶりに確認されたアホウドリのひなは、成長して、海に 飛び立つ直前だった。このひなに足環標識をした(右脚:環境省金属足環 13A7660 、左脚:プラスチック色足環 青138)。  

 南小島には、断崖中段の岩棚に巣立ちひな2羽、山頂部の斜面に1羽が残っていた。この頂上部のひなは、取材チームが30mくらいまで近づいたとき、北東の強い風にあ おられて飛び立ち、島より高く上がり、ゆっくり羽ばたいてしっかり飛行し、2-3分 後には付近に群舞していたカツオドリやアオツラカツオドリなど他の大型海鳥のシルエットに紛れてしまった。おそらく、3-4kmを飛行して、北小島の東沖に着水したに ちがいなかった。  

 また、南小島の平地となっている隆起リーフの海岸近くに、3羽が集まっていて、飛行の練習をし、さらに北・南小島の間の瀬戸(海上)に2羽が浮かんでいて、とき どき風上に向かって羽ばたきながら水面を蹴って走り、100-200mの距離を飛行して 着水し、飛行の訓練をしていた。こうして、2月末に観察した33羽のひなうち、9羽を 観察することができた。残りの24羽はすでに尖閣諸島を離れ、渡りの旅に出てしまっていた(頂上部にひなの死体は見つからなかった)。
  5月上旬に大半の巣立ちびながすでにコロニーから離れていたことは、尖閣諸島では巣立ちの時期が鳥島より2週間ほど早いことを示すにちがいない。
  以前、1992年に朝 日新聞のヘリコプターで尖閣諸島に上陸して調査したときには、4月29日に巣立ち間 近なひな11羽と成鳥1羽を観察し、1980年にNHKの取材に同行して空中から観察したと きには、5月2日に成鳥・若鳥19羽を観察した。
  また、100年ほど前、まだ多数のアホ ウドリが繁殖していたころは、黄尾嶼や魚釣島では5月10日過ぎにアホウドリの数が 少なくなっていた(前述)。

 したがって、2002年5月上旬に大半のひなが巣立ったこ とは、この年だけの特殊な出来事とは考えられず、尖閣諸島では巣立ち時期は4月下旬から5月上旬だと推測される。尖閣諸島でのアホウドリの繁殖時期を明らかにするためには、10月から5月に数回上陸して調査しなくてはならない。  

 また、まだじゅうぶんには飛行できないひなが、コロニーから離れて、南小島南側 の海岸近く陸上に留まり、飛行の練習をしていたことも意外であった。伊豆諸島鳥島 では、飛び立ったひなはみな海に出て、島の回りの海で2-3日間を過ごし、その間に 海上で飛行の練習をする。これまで1度だけ、翼に異常のあった1羽のひなが、燕崎か ら海に出たあと潮に流されて、初寝崎のB港の海岸の波をかぶる岩の上にたたずんで いたことがあったが(2001年6月11日)、健康な複数のひなが海に出たあと上陸した 例は観察されなかった。南小島の隆起リーフで観察されたひなは、断崖中段の岩棚が狭くて飛行の練習ができずに、風にあおられて未熟な状態で飛び立ち、平地に降りた のかもしれないし、同じ岩棚で営巣している鋭いくちばしを持ったカツオドリに威嚇 されて、未熟な状態で飛び立ってしまい、じゅうぶんに飛行できなかったために陸上に着陸したのかもしれない。さらに、いったん海に出て、そこで3羽が出会った後、強い風によって海岸に吹き寄せられて上陸した可能性もある。この点は、今後の詳しい調査によって明らかにされるだろう。    

(5)鳥島集団と尖閣諸島集団との間の個体の交流  

 伊豆諸島鳥島から巣立ったひなには、標識作業のときに飛び立ってしまったごく少 数を除いて、すべて標識用の足環が装着された(1977年から2002年までに合計1730羽 )。もし、尖閣諸島で足環標識を付けている個体が観察されれば、鳥島集団から尖閣 諸島集団へ個体が移入していることになる。このことを確認するため、2001年3月と2002年2月に、双眼鏡(8x)やフィールドスコープ(25-56倍)を用いて、足環標識 個体の発見につとめた。  

 断崖の岩棚にいる個体の足環は観察者からあまりにも遠く、足環を観察することは できなかったが、山頂部の斜面にいる個体の足環の確認は可能であった。2年間で50 羽以上について観察したが、足環をつけている個体は1羽も発見されなかった。した がって、今までのところ、鳥島集団から尖閣諸島集団への個体の移入は確認されてい ない。  

 ところが、鳥島では複数の未標識個体(したがって尖閣諸島産と考えられる)の繁殖活動が観察されたこと、最近なされた鳥島集団の遺伝学的解析(弘前大学農学生命 科学部・黒尾正樹助教授らとの共同研究)によって、逆に尖閣諸島産の個体が鳥島集 団に移入していることは確認された(2002年9月16日の日本鳥学会大会で発表)。

(6)尖閣諸島集団の大きさの推定  

 2001年12月24日に水島邦夫氏によって撮影された映像を分析した結果、南小島の岩棚の上空から見える範囲(ガジュマルの木の陰を除く)には約25巣(つまり25個の卵 )があり、2002年2月25日の調査では同じ範囲に15羽のひなが確認された(1羽のひな はガジュマルの木の下にいた)。

 したがって、これらのひながすべて巣立ったとすれば繁殖成功率は60%(15/25)となる。厳密にいえば、10月下旬の産卵から12月下旬 までに死亡した卵もあるはずだから、繁殖成功率はこれより少し低くなる。
  もし、尖閣諸島全体でも繁殖成功率が60%だとすれば、33羽のひなから逆算して、繁殖つがい 数は55組(33/0.6=55)となる。しかし、2001年にはひな数が24羽で、もし繁殖成功 率が60%程度だったとすると、繁殖つがい数は40組となり、1年で15組(38%)も増えたことになってしまう。このような急増は考えにくいので、2001-02年の繁殖つがい数はおよそ50-55組とみておくのが妥当であろう。繁殖つがい数を確定するためには、将来、産卵期直後の11月下旬から12月初めに上陸して調査することが不可欠である。  

 鳥島での繁殖つがい数は、1951年に約10羽が再発見されてから28年後の1979年には 50組、29年後の1980年には54組、30年後の1981年には63組であった(積極的保護活動が行なわれる前で、1981年から営巣地の保全管理が始められた)。尖閣諸島でも再発見時にほぼ同数の12羽が観察され、30年後の2001年には50-55組に増加したと推測さ れた。この数字から判断すれば、尖閣諸島集団も鳥島集団とほぼ同じ率で増加してき たと考えられる。  

 2001-02繁殖期に鳥島集団の繁殖つがい数は251組であったから、尖閣諸島集団の大きさは鳥島集団の約20%にあたる。もし、今後も2集団がほぼ同じ増加率で増殖する とすれば、地球上におけるアホウドリの繁殖つがい数は鳥島集団の1.2倍としておお まかに推定することができる。




author:senkakujapan, category:尖閣諸島の自然, 12:43
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