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寄留商人の妻として −古賀花子さんに聞く−(12)

 新崎盛暉著「沖縄現代史への証言(下)」沖縄タイムス社・1982年−より



 □ 十・十空襲――首里へ避難
 ――十・十空襲のときはどこにいました?
 古賀 ここです、自宅です。ちょうどそのときお手伝いは
小禄の飛行場に行ってましてね。といいますのも、当時は、
きょうはどこの女子青年団、あすはどこの警防団と、日ごと
にそういう団体が引っばり出されていたんです。お手伝いは
(以上−133頁−上段17〜22行)


女子警防団員として行ってたんです。私らなんかでも、町内
会から二五〇人だったら二五〇人ずつを、それぞれの家数に
応じて割り当てられたものです。私らも角材運びや土嚢運び
をして飛行場作りに招集されたものです。若い連中は監視哨
に行っているでしょう。
 ――監視哨といいますと?
 古賀 ほら、港の向うにあったでしょう……気象台ですか、
あれを小さくしたようなものです。若い連中はそういう所に
駆り出されていました。
 ――すると、空襲やなんかを監視する所?
 古賀 ええ、敵の船が来るかどうかとか。
 ――それはあっちこっちにあったんですか。
 古賀 あっちこっちにあったらしいですよ。うちの連中だ
けでも二人が駆り出されていましたしね。いつごろ作られた
ものなのか、詳しいことはわかりませんが。
 ――で、十・十空襲に遭われて、どうされましたか。
 古賀 最初の空襲のとき家の防空壕にいましてね、主人は
警報が鳴ると同時に、町内のあちこちを廻って、ひととおり
全部廻って帰ってきてから、推それはどうこうしていた、新
嘉喜さんの奥さんは、ふとんを頭にかぶってたよ、諸見里の
奥さんほシンマイナベをかぶっていたよ、とか、おかしな見
てきた話をしていたんです。そして、その話をしているうち
に、またドカドカドカドカでしょう。最初の空襲から次の空
襲までには一時間ぐらい間があって、そのあとはもう十五分
間隔ぐらいに、ドカドカですからね。で、最初のうちは、屋
敷の庭にあった防空壕に入っていたんですが、もうどうしょ
うもないんです。防空壕から、よく見ると、家の柱がこんな
にひん曲って、またすぐそのあとにドカドカですからね。そ
れで、旭橋、あの旭橋が燃えたら、もうみんな火の中で蒸し
焼きにされるからといって、町内会の書記が迎えに釆てくれ
ましたので、それでリュックひとつを担いで午後二時すぎか
ら避難を始めたんです。そしたらですね、旭橋を渡るまで、
わずか数百メートルの距離ですが、三回ぐらい空襲があって、
そのたびに道端の防空壕に入っては、しばらく待ったりして、
ようやく渡り着いたら、そこには大きな防空壕がありまして
ね。そこにしばらく入っていました。
 そのうち、少し空襲も遠のいたので、そこを出まして、晩
の八時ぐらいまでに首里にたどり着いたんです。その時、リ
ュック一つですが、古賀は息ぐるしいとリュックも棄てまし
た。
 ――その時、首里はまだ焼けていなかったんですか。
 古賀 はい。ちょうど当時は那覇に鉄道がありましたね。
その鉄道の内側、こちら側だけが焼けたんです。ちょうど安
里の一高女の辺りまででした。
 ――古賀さんたちが首里に避難されるときには、近所の人
たちはすでに避難していましたか。
(以上−134頁)



 古賀 ええ、朝にひどい空襲があって、そのとき出掛けた
ようです。私たちがいよいよ避難しようと決心したとき、隣
り近所に「皆さん、もうあぶないから出ましょう!出まし
ょう!」と大声で怒鳴ったんですが、誰も出て来ないんです。
もうその時にはみんな避難していたんですね。
 ――そういう人たちも首里に?
 古賀 みなさん、田舎やなんかに知り合いがいましたから、
そっちの方へ行ったんでしょう。
 ――で、古賀さんたちは首里に行って……
 古賀 はい、首里の末吉というところに行きました。そこ
の岩陰みたいなところに大きな防空濠があって、そこへ入れ
てもらったんです。もういっぱいで、入り切らないぐらい集
まっていましたけどね。そこでしばらくいると、夜の十二時
ぐらいだったか、警防団の人が来ましてね、で、「敵が上陸
するかも知れんから、みなさん、北の方へ向かって行って避
難して下さい」と言うんですね。そしたら、みんなお出にな
られたんです。そこに居残ったのは、古賀と私と、それに尚
琳男爵、そのお供かなんかの人と、私どもに宿を貸して下す
った新垣信一枚師の奥さま、たったそれだけでした。あとは
もうみんな出ていったんです。主人が「おれはもう歩く元気
もない――喘息でしたからね――、ここでやられたらやられ
たでいいよ、自分でするだけのことはしたから、おれは動か
んよ」といって、じっとしていました。
 そうしているうちに、首里には、ちょうど以前から知って
いたその新垣牧師さんの家族がいたもんですから、そこに行
きました。牧師さんは八重山に行っていて、奥さんと子供さ
んだけだったんですから。そこには、武部隊の戦車部隊長も
おりました。
(以上−135頁−上段1〜下段5行)



author:senkakujapan, category:尖閣諸島と古賀商店, 20:06
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