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寄留商人の妻として −古賀花子さんに聞く−(15)

新崎盛暉著「沖縄現代史への証言(下)」沖縄タイムス社・1982年−より



 □ 戦後・沖縄へ引き揚げ
 ――沖縄に引き揚げて来られるのは、かなり経ってから?
 古賀 十八年、経っていましたよ。
――その十八年間は、やはり看護婦をされて……
 古賀 はい。こちらに帰る前の十年間は、そうしていまし
た。
 はじめの七年は信州にいて民生委員やお花の指導員、それ
から大阪に八ヵ月ほどいました。大阪には昔、古賀の父が面
倒を見ていた人の甥がいて、その人が呼んでくれたもんです
から。大阪府下の吹田という所だったんですが、行ってみま
すと、荷物を運ぶのに付いて歩くのが古賀の仕事でしてね、
そういうのは古賀にはぜんぜん向いていないことは、私はよ
く知っていましたから。それで、これくらいの生活なら私に
まかせて下さい、私が働いて、あなたはどこへでも遊んで歩
けるようにしてあげるから、ということでね、それで東京へ
出て、看護婦を勤めたんです。「月給ここに入れておきます
よ」というと、古賀は好きな時に使って、まあ自由にやって
いました。古賀にも女房に養なってもらってるという気持ち
はなかったはずです。
――その頃、沖縄の情報は入ってきたわけですか。
 古賀 ええ、まあ、たまにですけどね。古賀は、沖縄には
米軍がいるのに、なんで敵のいるところに行けるか、なんて
言ったりしていましたけどね。
 ――すると、その間には一回も沖縄を見に来られることは
なかったんですか。
 古賀 ええ、ありませんでした。
 ――全財産はこっちに置いたままですね。
 古賀 全財産ていったって、商売しているわけじゃないか
ら、ただ土地だけですね。八重山の支店も二九〇坪ほど残っ
ていたんですがね、向うにいた支店長が社長になって店を始
めていてね。
 ――すると、海産物問屋か何かを?
 古賀 ええ、やってました。うちの店も使い、蔵も使い、
そのまんま……。そっちが本店で、那覇にはまた南海商会と
(以上−139頁−上段12行〜下段22行)


いうのがあって、それが支店としてやってたんです。で、と
もかく地料として、月々三千円ほどですか」送っていました
がね……その話が出たときに、私が「あんた、少し言ったら
どうなの」と言ったら、古賀は「まああれも苦労してやり出
したんだから、やらしておけはいいじゃないか」というふう
でね……。文句を言いませんでした。結局、安くでお貸しし
たんですがね。ところが、私たちがこっちへ帰ってきたら、
間もなく本店の方も支店の方も死んじゃったんですよ。
 ――さきほど、沖縄には米軍がいるから帰らないとおっし
ゃっていましたが、戻って来ようと決心されたキッカケは?
 古賀 向うにいる間に、今が稼ぎ時だなんて言って来られ
る方が見えたうしたこともあったんですが、直接のキッカケ
は当間重剛さんなんかが、いつまでぐずぐずしているんだ、
もう帰れよ、自分の土地も戻ってくるし、アメリカも、君が
思ってる、そんなもんじゃないよ、とにかく一度帰って来て
付き合ってみたまえ、と。そして野球と庭球の大会に招待し
て下さったんです。昭和三十七年に……
 で、その翌年にこっちに帰ってきました。帰ってきて、あ
っちこっちの外人さんともお付き合いしてみて、古賀が「ア
メリカは思っていたより、みんなとても親切だ」と言うんで
す。キャラウェーさんとは、まあ会議やなんかでご招待のあ
ったときに付き合う程度でしたが、ワーナーさんとはよく付
き合っていて、感じのいい人だなあと言っておりましたね。
 ――引き揚げて来られてから、古賀さんは何をされていた
んですか。
 古賀 それがね、古賀はロータリーの会員に推薦されたん
ですが、会員になるには何か仕事がなきゃいけないというん
で、さっき話に出た昔うちの番頭だった人のしている店の取
締役というのを、名前だけもらってやってました。
 ――すると、こちらへ来られてからは、古賀さんは悠々自
適といいますか、名誉職をされて……
 古賀 ロータリーの書記をやらされてね。それで、ずっと
まじめにやっていましたよ。他に用事がないんだから……・。
自分の好きなことをやったんだから、まあまあだと思ってい
るんです。
 ――土地はどうなっていました。区画整理も済んでいて‥
 古賀 ええ、区画整理されて、そして車置き場になってい、
たんです。うちの土地の一部で車置き場をやっていた人は、
安謝かどこかに引っ越されたらしいんですが、行かれるとき、
長いこと拝借しましたと、お礼の一言もなく、出て行かれま
した。
 ――じや、無断借用していた?
 古賀 ええ、まあ無断借用です。で、いちばん向うにいた
人は、やっぱり車置き場していたんですが、自分たちの借り
ていた分は、地料を払ってらっしゃいました。
 ――そうしますと、帰ってきたときは、こちらにはいらっ
(以上−140頁)



 しゃらなかったんですか。
 古賀 ええ、帰って来てからは十年ぐらい借家をしてまし
た。国場ビルの隣りのちょっと空地のあろ所に……。十坪ぐ
らいでしたかね。八畳一間と四畳半と三塁の家でした。小さ
い家だったんですが、あそこは交通に便利ですからね、譲っ
てくれと頼んだんですけど、どうしてもダメだと言うもん
で……。で、もう年だしね、いつなんどき倒れるかもわから
んのに、私、借家から葬式を出すのは嫌よ、と言ったんです。
そしたら、じや作るかというんで、この家を作ったんです。
(以上−141頁−上段1行〜上段9行)



author:senkakujapan, category:尖閣諸島と古賀商店, 21:18
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