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全面的に日本を摧滅し・・・初めて平和を勝ち取ることができる

 戦争はまさにわれわれに向かってきている
http://www6.plala.or.jp/GEKI/geki/2/080909sensou.html


戦争はまさにわれわれに向かってきている
                          遅浩田 2005
 
 

同志たち。
 この題目を書く心情は極めて重い。中国現代化の進程はしばしば外部勢力の打撃と直接の侵略によって中断に遭って来ているからである。最も典型的なものは1927―37年のいわゆる「黄金十年」である。いわゆる「黄金十年」は現代の目から見れば、少しも黄金ではない。この中には1931年の東北の淪陥があり、冀東傀儡政権の成立がある。ただ相対的に言えば、1927―37年の中国経済の発展の速度はかなり速く、基礎設備の建設は相当に進展し、軍隊の建設もまた起色があり、中国は一点の希望があらわれた。だがこれは日本が容認できないものである。東三省を侵呑してまだ足りず、待ちきれなくて全面的な中国侵略戦争を発動した。中国はやむなく焦土抗戦政策をもって苦戦八年した。中国は惨勝はしたが外モンゴルを失い、息も絶え絶え、財産の損失は6000億ドル以上、八年の戦争の破壊を経て、もともと貧弱な中国はさらに一空二白となった。日本の侵略特に全面的中国侵略は戦争は大々的に中国の現代化の進呈を引き延ばしたといえる。
 中国の発展を許さない、中国の現代化の進呈を阻害する事は、一貫して列強得に日本の終始変わらない国策である。われわれはこのことに対して最も痛切な歴史の教訓を持つべきである。国と国との間に合作はある。ただしいっそう本質的なものは競争、衝突と衝突の最も極端な形式――戦争――である。合作は一時的、条件的であり、競争と衝突は絶対的であり、歴史の主軸である。これにより、いわゆる平和と発展を現代の主題にするという言い方は完全に誤っている。(いくら大きく見積もってただ権宜の計とできるだけである) この種の言い方はなんの検討に耐えうる理論的根拠がないのはもとより、さらに事実にも歴史の教訓にも符合しない。中日両国のこのような地理上、歴史上の死敵であることは言うまでもなく、例え60年代の中ソ分裂であっても、やはりいかなる国家も全て国家利益の追求を唯一の行動の準則としていて、道徳のためにいかなる隙間も残していないことを説明できる。当時中ソは共同のイデオロギー形態があり、共同の敵に向かい、かつ中国の低い科学技術水準は中国をソ連に対して脅威を形成することを不可能にしてていた。だが中ソはやはり分裂し、進んで尖鋭な対立に向かった。その原因きっかけは極めて多い、ただし一つ根本的な原因は、ソ連が日増しに発展し、日増しに強大になる中国を見ること、そしてそれが肩を並べて立つことを願わないことである。それはわずかにこの種の趨勢があるだけで、現実とははるかに遠いとしてもやはりダメである。もし共同のイデオロギー、共同の敵があり、一強一弱の中ソであっても分裂するならば、それではいわゆる平和と発展を現代のテーマとするおまじないの主導下の中国の政策と戦略、および外交の虚妄性、脆弱性、危険性は充分に明白である。それゆえ平和と発展を現在のテーマとする言い方は完全に誤っている。片思いを懸けて、役に立つのか。有害な学説の役割である、原因は以下の通り。


一、 列強の中国の現代化の進程を打撃することは一貫した国策である。
 中国近代の歴史の経験、教訓、そして中華人民共和国50年来の歴史と教訓から、このような一つの歴史の法則を得ることができる。列強が中国の現代化の進呈を打撃する(全面的な戦争を含む)ことはその一貫した政策である。これまでの160年がこの通りであったし、今後の160年も依然としてこの通りである。(引用者注 帝国主義がそれほど延命できるとは思えないが)

二、 発展はつまり危険と脅威を意味する。「戦争権」がなければ発展権はない。
 発展はつまり危険、脅威を意味する。これは世界の歴史の通則である。ただ、中国の歴史上にだけ例外がある。例えば大漢王朝は当時の地理的極限の中で全ての相手を打ち破った後、「門を閉じて」発展でき、ならびに進んで「天下主義」を発生した。人口、軍事、経済、文化いかなる方面から比較するかにかかわりなく、いかなる族群も大漢族と肩を並べることができない。いかなる族群にもこのような大漢族と肩を並べる潜在的質を見ることができない。
 戦国時代には、一国の発展はすなわち他の国の脅威を意味し、これこそが世界の歴史上の通則である。また西方外交の核心と基石である。西方外交の鼻祖はフランスの紅衣主教リシュリューである。まさにかれが最初に外交領域で中世期の「蒙昧」から抜け出し、現代外交――いかなる道徳と宗教の束縛をも放棄し、一切を国家利益を軸心としてまわす――を作り出したのである。彼が制定した外交政策はフランスに200余年の利益をもたらし、ヨーロッパを主導した。そして彼が画策した30年戦争はドイツの人々に塗炭させ、諸邦小国に分裂し、永遠の動蕩のなかに置いた。ビスマルクがドイツを統一するまで。そしてドイツの統一の進呈は、ビスマルクの「戦争権」がなければ国家の統一はなく、さらに発展権もないことを明らかにしている。

三、 軍刀のもとの現代化は、中国の唯一の選択である。
 中国脅威論は完全に正しい。これはまさに典型的な西方の思想である。「我が方は門を閉ざして経済を発展する、誰が誰を惹起するのか」、この種の中国式思考方式は愚蠢であるだけでなく、また「国際的に通用しない」。戦国時代、国家利益と言うこの残忍な領域は、いかなる温情も入れることができない。誰であれ一糸一毫の幻想を抱こうとすれば、全て必ず大歴史の残酷な懲罰にあっている。中国の発展は日本等に対して当然にも脅威である。中国自身はこのように見ないこともできる。ただし中国は日本等の列強にこの種のすでに「国際的に通用する」深く根を張った思考を改変させることはほとんど不可能である。それゆえわれわれの思考の基点は、中国の発展は日本等に対する脅威である、であるべきであり、またでなければならない。
 「理」にもとずいて言えば、全ての国家、民族はみな生存権、発展権がある。もし中国の経済が発展すれば石油を輸入しなければならない。生態を保護するために中国は山を封じ林を育てる。そうすれば木材等の原材料を輸入しなければならない。これは当然なことである。「理」の当然である。ただし列強は列強の「理」がある。中国のような、このように大きなものが、2010年に石油の買い入れが一億トンに達し、2020年に買い入れ二億トンに達する、列強は容認できるか。
 基礎的な生存資源(土地、海洋を含む)を争奪することは、歴史上の絶大多数の戦争の根源である。この情報化した時代には必ず変化があるが、ただし本質的な変化はありえない。発達、先進、文明の、たとえばイスラエルは不毛な地方のために(水源の争奪を含む)アラブ、パレスチナと50年戦い、まだ一日も休むことなく闘っていないか。さらにきわめて正当な発達権を勝ち取るために(中国人が永遠に貧困に安んじ、発展ですら放棄するのでなければ)、中国は戦争を準備しなければならない。これはわれわれが決定したものではなく、さらにわれわれの中のいくらかのいくらかの善良な人士の善良な願望が決定したものでもない。事実上これは「国際的慣例」と列強が決めたものである。中国の20年の平和と発展の政策はすでに終わりに来ている。国際環境はすでに質的変化が生まれている。すなわち列強はもう一度中国の現代化の進程を断ち切る準備をしている。中国が発展しようとすれば、自己の発展権を維持しようとすれば、戦争を準備しなければならない。戦争を準備して初めて発展の時間と空間を勝ち取ることができる。20年来の平和的牧歌的な発展はすでに終わった。次に上演する演目はこれだ、「軍刀下の現代化」、これでしかありえない。

 四、(大)外交が内政を決定する。
 例え中国で現在最も好戦的なタカ派であったとしてもまた必ずしも現在すぐ戦争することは主張しない。われわれには十分な十足な理由、例えば国家統一の戦い、例えば南海の権益を擁護する目的はあるが。だが、この種の発展権も日増しに脅威を受けている時期、やはりまさにわれわれは武器を取って、中国人の発展の権利を守るときである。
 内政が外交を決定する。これは間違っていない。ただしこの戦国時代、(大)外交もまた内政を決定する。これは理論上の説明であるだけでなく、さらに中華人民共和国の歴史の経験の述べるところである。70年代の中国の国防支出は科学、教育、文化、衛生支出の総額を越えている(人民の生活が比較的貧困であったために)。わたしは当然今日の中国の軍事支出が科、教、文、衛支出の総額を越えることを希望しない。事実上中国が最も必要としている投資は教育である。だが列強は許すのか。どうして毛沢東はもっと多くの銭を科、教、文、衛に投入しようと思わなかったのか。ある人は言う、いわゆるソ連の公開された文件にもとづいて、60,70年代ソ連は全面的に中国に侵入する計画はなかったと。例えこれらの公開された文件が正しいとしても、やはり「歴史の真実」を説明することはできない。対局は全て互いに動くものである。毛沢東の領導下の中国が最も十分な精神的、物質的準備をしていなければ、ソ連の全面的な中国侵略の危険と成本はきわめて大きく増加し、歴史はまた完全にもう一つの方向へ転換しただろう。軟弱なものはただ侵略を招き寄せるだけである。この角度から言えば、毛沢東こそが真の平和の防衛者である。

五、 善を求めて悪を得る、中国は今後十年平和にできるのか。
 中国の現代化の進程を断ち切り、中国人の発展権を剥奪することに、列強は極めて多くの手段を持っている。最も明白な三枚の「切り札」は「三島」である。その内また台湾カードが最も有効である。台湾海峡の戦いがいつ爆発するか、決定権はすでにわれわれの手の中にない。また台独分子の手中にもない。米日の手中にある。もし台湾海峡の戦いが爆発すれば、それはわずかに統一の戦いではなく、いっそう深層は米日が中国人の発展権を剥奪し、もう一回中国の現代化の進程を断ち切ることを決心するものである。まさしく歴史上の甲午の戦いのように、日本の全面的な中国侵略は、地を割き賠償を取るだけではなく、いっそう本質的なものは、日本が中国の現代化の進程を断ち切り、中国人の発展権を剥奪したことと同様である。
 善を求めて悪を得る、これはわれわれの当面の政策の最終的な結果である。悪を求めて善を得る、全面的に日本を摧滅し、アメリカを残廃にまで打ちのめす能力を擁有して初めて平和を勝ち取ることができる。そうしなければ台湾問題を10年引きずりきれない。10年内に必ず大戦がある。

六、 覇権は大国の存在の本質的な特徴である。
 大国とは何か。覇権があれば大国である。覇権がなければ人の分割するに任せ、運命(発展権を含む)を人に支配される木偶である。覇権はこの戦国時代では客観的存在である。「人の意志によって変えることのできないものである」。問題はただきみが意識しているかどうかである。主導的に追求するか、それとも向こうが接近してくるか。中国の一切の問題は、三島問題を含めて、戦略産業発展の問題、国内各階層の利益の調整の問題、は全て最終的に中華民族が覇権を戦いとる問題である。
 覇権を争わんとすれば、内闘已まざるあたわず、内部は安定団結しなければならない。イギリスは海外植民地の巨大な利益によって早々に「労働者階級の貴族化」を実現した。日本が中国から掠め取った巨額の賠償と市場は、上層に有利であるだけでなく、日本の下層にも巨大な利益を得させた。時代は変わった、国情もまた同じではない。ただし実質は変わっていない。われわれは覇権の視角から軍事、外交問題を見なければならないだけでなく、覇権の視角から内部の階層、階級利益の調整問題を見なければならない。ただ本国下層を圧迫して搾取するだけにたよる上層エリート階級は、この戦国時代にあっては民族の利益を代表できない。彼らは腐敗した、没落した、利益を生まないものであり、制限され、消滅されなければならない。智慧のある上層だけがはじめて民族の利益を代表できる。すなわち対内的には「譲歩政策」を実行し、下層を領導して共同で海外の利益を獲得するのである。(この問題は比較的複雑である。以後また詳しく述べる。中国は巨大な海外利益を持っている、ただわれわれがまだ積極的主導的に開発していない。)

author:senkakujapan, category:尖閣諸島, 00:03
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