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尖閣列島探檢記事 (承前) −その2−

地学雑誌・第12輯頁第141巻・明治33年09月

尖閣列島探検記事 (承前)
                                      黒岩 恒

第2回



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【現代語意訳】

珊瑚礁は洪積期(200万年前から1万年前)のものにして、その最も発達したものは、島の東北岸、即ち東岬より北の岬に至る間に在る。この間に於ては、珊瑚礁が幅八十メートルくらい平らな縁付(えんつき)をなしている。初め私らが上陸した地点は島の東北部にある道安渓の西の方で、汽船は岸に沿って進み、水深22〜24メートル(底質はやや良)の位置に投錨(とうびょう)した。時間は五月十二日午後四時であった。上陸者は古賀辰四郎氏、八重山島司野村道安氏、及び私である。船は今夕再び久場島へ向け出帆の予定なので、古賀・野村の両氏は暫時の上陸である。
いよいよ探検だと気合いを入れ、教導の伊澤氏の他に人夫三名の探検隊を組織した。汽船は明後十四日に我らを収容する為に戻ってくる予定である。さてここで私は迷った。この様な無人の大きな島を探検しようとしているのに日数は僅かに一日である。如何なる方針をとるべきか。植物を探るのか。地質を調べるか。動物を採集するのか。だが、この様な僅かな時間で調査するのだから、地質を先にして、植物を次に探査するのがもっとも適切であると考え、先ず沿岸を一周して地盤構造の大略を調査し、なお時間に余裕があれば、中央を横断することにした。持参する物品は、鉱石を砕く金槌と植物採集の為の器具類、食料は米と味噌、寝具は僅かに一枚の毛布である。
先ず進路を西廻りと決め、いよいよ出発したのは午後五時過ぎであった。既に云える如く、上陸点付近は、一面の珊瑚礁であり、それが水面に露出し、表面は高低入り組み凹凸で針山のような状況で歩行困難にして誠に苦しんだ。魚釣島は八重山列島と台湾との間を通過する黒潮が激しく衝突する所であるから、竹や木その他の漂着物が珊瑚礁の上に散らばっている。アホウドリの雛は少なくなく、北岬(キタサキ・新称)は砂岩が高く海に迫っている所で、島北面沿岸の中央に位置する。北岬以東の沿岸には平らな珊瑚礁の縁付が大きく発達しているが北岬の以西には殆ど存在しない。加えるに多くの大岩塊が積み重なり、海岸付近に密集していて、通行は極めて難しい。北岬のすぐ西には砂岩層が北十度の傾斜でゆるやかに海中に消え入る所がある。表面は砥(といし)の如くなめらかで、時々高浪があらう所となるから、一本の草樹を生えていない。名付けて千畳岩と云う。高知県龍串(タツクシ)の磯に於ける、第三期砂岩に千畳敷なるものあり。この地の光景は大いにこれと似たものがある。ただし傾度少い第三期砂岩に共通する現象で、奇というほどのものではない。

 

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【原文】

珊瑚礁は洪積期のものにして、其最發達せるは、島の東北岸、即東岬より北の岬に至るの間に在り。此間に於ては、幅八十メートル内外を以て、平衍なる緣附をなせり。初余等の上陸せし點は島の東北部なる道安渓の西の方にして、滊船は岸に接して進み來り、水深十二三尋(底質稍佳)の位置に投錨せり。時正に五月十二日午後四時なりき。上陸者は古賀辰四郎氏、八重山島司野村道安氏、及余なり。本船は今夕再黄尾嶼へ向け出帆の手筈なるを以て、兩氏は只暫時の上陸なりき。余は彌々島地の探撿に決心し、教導(伊澤氏)一名人夫三名を以て探撿隊を組織せり。滊船は明後十四日を以て、余等収容の爲、再回航し來るの豫約なり。余は惑へり、かヽる無人の一大島を目前に控へたるにも拘はらす、探撿の日子は僅に一日なり。如何なる方針をとるべきや、植物を探らんか、地質を見んか、動物を採集せんか。かヽる僅少の日子に於ては、地質を先にし、植物これに次くの利あるを自認し、先沿岸を一周して地盤構造の大略を撿し、尚時間に餘裕あらば、中央を縦横に横斷せんと覺悟せり。携ふ所の物品は、碎鑛鎚、植物採集器具の類にして、食料は米及味噌、寝具は僅に一枚の毛布なり。先進路を西廻りと定め、彌結束上途せしは午後五時過きなりき。前已に云へる如く、上陸點附近は、一面の珊瑚礁にして、常に水面に露出し表面は参差凹凸針山啻ならさるの勢を呈し、措足最も苦しむ。本島は八重山列島と臺灣との間を通過する黒潮の激衝する所なれば、竹木其他の漂着物礁上に散布せり。信天翁の雛亦稀ならず。北岬(キタサキ・新稱)は砂岩の高く海に迫れる所にして、本島北面の沿岸を中分するの位置に在り。岬以東の沿岸には、平かなる珊瑚礁の緣付大に發達せるも、岬以西には殆どこれあるなく、加ふるに磊々たる大岩塊、水澨に密布し、通行極めて苦し。岬西少許にして、砂岩層の北十度の傾斜を以て、漸次海中に消入する所あり。面砥の如く、時に高浪の濯ふ所となるを以て、一の草樹を着げず、名けて千疊岩と云。土佐國龍串(タツクシ)の磯に於ける、第三期砂岩に千疊敷なるものあり。此地の景光大にこれに類するものあり。蓋し傾度少き第三期砂岩に通有の現象にして、奇とするには足らさるなり、

{黒岩恒著「尖閣列島探檢記事(承前)」(明治33年9月)、地學雑誌第12輯141巻529頁6行〜530頁14行}



 

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【注釈】
※沖積期は200万年前から1万年前。
※十二三尋(ヒロ)21.96m〜23.79m。1尋 = 約1.83 メートル
※参差(しんし)高低・長短などがあって、ふぞろいなさま
教導の伊澤。井澤矢喜太氏は熊本県出身の人。明治二十四年より魚釣島並びに久場島に琉球漁夫を伴い渡航し、海産物とアホウドリを採集した。明治廿九年に古賀辰四郎は伊澤を雇入れている。
※磊々(らいらい) 多くの石が積み重なっているさま。
※水澨(すいぜい)恐らく水際のことであろう。澨は水際や汀(なぎさ)のこと。




 

author:senkakujapan, category:尖閣列島探検記事, 08:44
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