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古賀花子へのインタビュー in 1979

 

古賀花子へのインタビュー in 1979


 

古賀商店と取り扱い商品

 

記者: 結婚された頃は、先代の辰四郎さんは健在でしたか。
 
古賀: 亡くなられた翌年に結婚しました。  

 

記者: すると、辰四郎さんのことは、いろいろお聞きになりました?  

 

古賀: ええ。辰四郎さんは、ロンドンやニューヨークの博覧会なんかにもいろんなものを出品してはもらった賞状など、たくさんありましたよ。残しておけばよかったんですが、そんなものみんな空襲で燃してしまって・・・。それに先代は、本土だけじゃなく、中国にも知事なんかといっしょに出掛けて、中華料理に使う・・・イリコみたいなものね、それを取引きしていたようだし、貝ボタンやなんかはインドやドイツにも輸出していたようですよ。私はお店のことはよくわかりませんけど・・・。  

 

記者: それは直接那覇から?  

 

古賀: いえ、大阪の店からアメリカやなんかに送ってました。

 

記者: じゃ、古賀商店の本店は那覇にあって・・・  

 

古賀: そうです。  

 

記者: 大阪は支店ということで?  

 

古賀: いや支店というより、辰四郎のお兄さんが大阪の店にいましてね。そこへ送り付けていました。そのお兄さんという人は、上等の鰹節なんかが入ると、東郷元帥に贈り届けたりしていたそうですよ。すると執事の名前でお礼状が来たそうなんです。でもほんとうは執事はいなくて、ご自分でお書きになってたらしいんです。字を比べてみたら、やっぱり東郷元帥の字だとか言ってしました。  

 

記者: 大阪ではお兄さんがみて沖縄は辰四郎さんがみて・・・だから物を送るには大変便利であったわけですね、窓口があって。  

 

古賀: そうなんですよ。もともと古賀商店の始まりは鹿児島なんですよ。それで明治十二年の廃藩置県と同時に、辰四郎さんが沖縄に来られて事業を始められたんです。で、そのお兄さんのお嫁さんも鹿児島のいいところの出の人でしたよ。  

 

 

尖閣列島と古賀辰四郎

 

記者: 当時、尖閣列島でも工場をやっていたわけですね。

 

古賀: ええ、昭和十六年までですね。その頃になると油の配給がなくなったもんだから・・・。それで、石垣の登野城に鰹節工場を建てていたんです。七〇〇坪ぐらいありましたがね。戦後戻ってみると、工場の機械なんか全部なくなっていて、民家なんかも建て込んじゃって、立ち退いてもらえないものだから、結局、安くてお譲りしたんですがね。  

 

記者: すると、燃料の油の配給がなくなって・・・  

 

古賀: 配給がなくなった。魚釣島は、味噌・醤油やなんかの食料を送らないといけないわけでしょう、働いている人たちの・・・。そうそう、それでね、向うで働いている人は、鰹なんかもいいところばから食べるもんですからね、脚気になるのが出てきてね、大病でもして責任問題になったら大変だしということで、組合を作ったんです。沖縄では始めて作ったんです。  

 

記者: 組合というのは、産業組合、船主たちの組合ですか。  

 

古賀: いえ、乗組員のですね。乗組員が組合を作って、自分たちの健康も白分たちで気をつけるようになる。それに、みながよけいに魚を採れば、それだけ収入も多くもらえるという仕組ですね。食費なんかも組合にした方が経費が安くつということで・・・  

 

記者: すると、その組合を通して古賀さんが買い取られるわけですか。  

 

古賀: ええ、そうです。ともかく組合の第一号だったそうですよ。  

 

記者: それは国からの指導があってやったんですか。  

 

古賀: いえいえ、どこからも指導はなくて、自分で考えてやったんです、自発的に。私の聞いたところではそういうことです。  

 

記者: 工場で働いてた人たちは、どこの出身が多かったんですか。  

 

古賀: はじめは大分から来ていました。後には八重山付近です。で、慶良間の松田和三部さんが鰹節工場のことで顕彰されたりしていますが、あれは松田さんが地元の人を使ってやったからなんで、始めたのは古賀の方が一年早いそうなんですね。ただ職人が他県から来た人だということですね。藍綬褒章は翌年になったそうです。それで、思い出しましたが、辰四部さんが亡くなられるときに「おれは考え違いをしていた。大東島を手離したのはおれの失敗だった」とおっしゃっていたと、善次は話をしておりました。やっぱり拝借願いを出す前に探検するとき随分苦労されて、糸満の漁夫でも恐れをなしてへたばるというような嵐の中を、自分が頑張ったからなんでしょうね。  

 

記者: 辰四郎さんが亡くなられたのは?  

 

古賀: 昭和七年です。  

 

古賀: あんまりたくさんはいませんでした。戦争になってからはわずかで、若いのが三人と年守りが三人、あとは船が入って忙しいときに仲仕を三人、臨時で雇っていました。  

 

記者: 使用人は通いで?  

 

古賀: 住込みは二人でした。  

 

記者: 主に沖縄の人ですか、使用人は?  

 

古賀: ええ、八重山で仕込んで来た人がいましたね。  

 

記者: 沖縄県出身以外の使用人は?  

 

古賀: 山口県から一人来ていました。その人だけですね。  

 

記者: 八重山の支店をやっていた人は?  

 

古賀: 照屋という人です。  

 

記者: 八重山のかたですか。  

 

古賀: いいえ、那覇の牧志の人で、商業の頃、古賀(善次)と同級だったそうです。  

 

記者: 古賀さんは東京の大倉高商のご出身でしよう。  

 

古賀: 古賀は一学期は那覇商業に通っていたらしいんですがね、そのときの同級生です。その頃、御木本さんがおれのところはみんな大倉高商出を使っている、優秀だからそっちに行かしたら、ということで、移ったらしいんです。  

 

 

 

尖閣列島の処分

 

記者: 黄尾嶼は米軍の演習場になっていますね。あれは最初から、まだ本土におられるときから、軍用地料は入っていたんですか。  

古賀: あれはね、初めはぜんぜん入らなかった。それで、古賀の友人に三井物産の砂糖部の頭をやっている人がおりました。その人に頼んで書類を書いてもらって申請したんですよ。そしたら、すぐにその月から出ました。驚くほど早かったですよ。  

 

記者: 尖閣を処分されようと思ったのは?  

 

古賀: あれはね、栗原さんが、私どもがまだ国場ビル隣りにいる頃、二度ほどお頼みに来られたんですが、古賀はそっけない返事をして「売らない」としか言わなかったそうです。 そしたら、その後、三年ほどしてから、何度も見えられましてね。で、あんまり言うもんだから、南小島と北小島、あれはいま何かしようと思っても何も出来ない島だけど、それでもよかったら、その二つはお譲りしましょうと言ったんです。 そしたら、結構です、その代わり、魚釣島をお売りになるときの証文代わりに頂いておくというわけなんです。で、その二つはお売りしたんです。そしたら、一昨年(注意1)の八月、十月にも見えられた。そのとき主人の具合が悪かったんで、そのままだったんですが、去年の二月にもまた見えられたんです。そのとき古賀は、はっきり言わなかったんですが、それだけおっしゃられるんなら、まあ、へんなことにお使いになられないんだったら・・・・というような意味のことを言ったんです。そのあと三月五日に古賀は亡くなりましてね。で、亡くなったあと四月にまた来られたんで、まあ、古賀もああ言っていたし、私もいつなんどきお参りするかわからないいし、古賀の言うところを含んで下されば、ということでお譲りしたんです。  

 

記者: 何に使うということはお聞きになりましたか。  

 

古賀: 純粋の金儲けというか、人に転売するようなことは絶対にしないということでした。まあ、あの頃から石油の話はすでに出ていましたしね、石油が出ることは確かなんですから。それはどういうふうになるかはわかりませんけれど・・・。


(注意1):1977年


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<解説>
上記は『沖縄現代史への証言・下』(1982年2月発刊)の古賀善次の妻、花子へのインタビュー記事の一部を抜粋したものである。花子は長野県飯山の出身で明治31年生まれ(1898年?月?日 - 1988年1月1日)。旧姓は八田。東大病院看護婦養成所卒業(大正5年6月卒)。東京で看護婦をして体調を崩して静養していたときに、沖縄県立病院の院長をしていた橋本が、学会で東京に来ていたときに沖縄で働くことを勧められ沖縄へ。数年間働いた後、東京に戻って新しい病院で働いていたときに、入院していた芹沢浩牧師(沖縄へ伝道に行ったが結核で東京に戻って入院していた)から古賀善次とのお見合い話を持ちかけられる。花子は以前から善次の顔は知っていたが、何をしている人かは当時まだ分からなかったという(花子談)。

author:senkakujapan, category:尖閣諸島と古賀商店, 19:14
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