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古賀辰四郎と大阪古賀商店  −はじめに−

『南島史学』第35号 南島史学会 1990年
望月雅彦 「古賀辰四郎と大阪古賀商店」  (※1)


古賀辰四郎と大阪古賀商店

                                                    望 月 雅 彦  

    はじめに

 古賀辰四郎は明治十二年(一八七九)二月廃藩置県直前に沖縄に来島し、以後大正七年(一九一八)死亡するまで、沖縄において、海産物の海外輸出・尖閣列島(※2)ほかの無人島の開拓・万国博覧会等への積極的参加と多方面に活躍した人物であり明治四十二年(一九〇九)藍綬褒章を下賜されている為、明治十二年(一八七九)前後より沖縄に来島した他府県人の中でも比較的ポピュラーな存在であるにもかかわらず古賀辰四郎の全体像を探求する試みはなされていないように思われる。

 一九七〇年代に海底油田に起因した尖閣列島の領有権論争がなされ、古賀辰四郎の明治期の開拓が取り上げられるが、議論の性格上その内容は実効的支配の根拠としてであり、古賀辰四郎という人間についての考察ではないのである。

 この小論では古賀辰四郎の全体像を探求する試みとして仝轍戝せ溶困寮験兇魘菠し彼の活動を概説すること沖縄来島以後の事業の推移を、従来、見落されてきた大阪古賀商店との連携という視点で論述していきたい。



_______________________________________________

 〔注〕

 (※1) 古賀商店は那覇と大阪にあり、混同をさける為、便宜上、大阪古賀商店・那覇古賀商店という表現を用いた。なお八重山には古賀支店があった。
 古賀国太郎以後の大阪古賀商店について、西六連合振興町会編『西六(さいろく)いまむかし』昭和六十一年五月一日発行では「もう一軒の海陸物産貿易で貝釦原料を明治十二年から扱う古賀商店は古賀国太郎の没後、義雄に引き継がれる間は義雄の母モトが取扱高の多いこの老舗を支えた。」とある。

author:senkakujapan, category:尖閣諸島と古賀辰四郎, 19:47
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