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古賀辰四郎と大阪古賀商店 (一)  出生より幼少時代

『南島史学』第35号 南島史学会 1990年
望月雅彦 「古賀辰四郎と大阪古賀商店」


   一、古賀辰四郎の生涯

 
古賀辰四郎の生涯を概観し区分すると左のようになる。
    (一) 出生より幼少年時代
    (二) 大阪在留の時代
    (三) 那覇寄留の時代
    (四) 尖閣列島開拓の時代
    (五) 藍綬褒章以後の時代

次に各時代につき順次概説していく。



  (一) 出生より幼少時代

 この時代は福岡県在住の時代である。古賀辰四郎は安政三年(一八五六)一月十八日、平民・古賀門次郎の三男として福岡県上妻(こうずま)郡山内村(※3)(現在の八女市字山内)に生まれた。

 私見では後述のように、長男国太郎・次男与助・三男辰四郎弟光蔵と尾滝家に嫁した姉又は妹がおり五人もしくはそれ以上の兄弟であると考える。幼少年時代の古賀辰四郎をうかがい知る資料は現在までの所、見出せない。従来の古賀辰四郎に関する記述では「福岡県八女郡に生まれ、家は代々中農であり、沖縄へは八女茶を商いに来た(※4)。」とされているが、八女郡は誤りであり家代々の中農という点も疑問である。又辰四郎は出生地に地縁の薄い人間であると考えられる。根拠は仝什澆糧女市宇山内の近在の寺院に古賀門次郎・辰四郎の名では墓碑が確認できなかったこと(※5)。古賀家の跡を継ぐべき門次郎の長男国太郎が上阪し大阪古賀商店を経営し、大阪で物故していると思われる点である。代々中農であればその土地に執着したと思われる。


_________________________________________

〔注〕

 (※2) 尖閣列島は八重山群島の北西約一七五キロ、台湾の北東約一九五キロにあり、東経一二三度二十八分から一二四度三十四分、北緯二十五度四十四分から二十五度五十六分の間に点在する八個の島嶼である。開拓の対象となったのは、魚釣島、久場島と南北小島である。『沖縄県史』別巻、沖縄近代史辞典、古賀辰四郎の項(二五二ページ)では、古賀辰四郎が尖閣列島の発見者とされているが、誤まりである。古賀辰四郎が沖縄へ来島する以前、冊封使録にも記され、八重山では古くからイーグンクバ島と呼ばれた既知の島嶼であった。

(※3) 国立公文書館所蔵、明治四十二公文雑纂内閣四巻四』(配架番号二A―十三―一一〇八)「古賀辰四郎へ藍綬褒章下賜の件」原本添附の戸籍謄本による。

(※4) 『沖縄県史』別巻、沖縄近代史辞典、「古賀辰四郎」の項目(二五二ページ)

(※5) 事前調査として郵便にて古賀門次郎、辰四郎の墓碑の存否を新勝寺、光明寺、真如寺、に問い合せたが、いずれも否であった。各寺院共、八女市宇山内の所在である。

author:senkakujapan, category:尖閣諸島と古賀辰四郎, 19:56
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