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古賀辰四郎と大阪古賀商店(三)  那覇寄留の時代

『南島史学』第35号 南島史学会 1990年
望月雅彦 「古賀辰四郎と大阪古賀商店」 


  (三) 那覇寄留の時代

 この時代は明治十二年(一八七九)二月より、那覇に本籍を移転する明治二十八年(一八九五)四月までの約十六年間を指す『古賀辰四郎へ藍綬褒章下賜の件』(以下、『藍綬褒章資料』と略)を見ると次の記述がある。

  「福岡県出生ノ者二有之始メテ沖縄県下ニ来リ海産物ノ採集捕
 獲ノ業二従事シタルハ明治十二年二月ニシテ時恰モ琉球藩ヲ廃シ
 沖縄県ヲ置キタル年ニ属セリ是ヨリ先本人ハ沖縄各群島ニハ必ス
 ヤ幾多有用ノ海産物ノ蔵畜アルヘキヲ想ヒ興業ノ意ヲ決シテ本島
 ニ来航スルニ至レリ其着スルヤ自ラ沿岸ヲ巡視シ漁夫ヲ傭ヒテ海
 中ヲ探ラシメタルニ果シテ産物ノ豊富タルヲ認メ茲ニ初メテ本業
 ニ従事スルノ端緒ヲ開ケリ当時本島二於ケル一般ノ民度尚未タ幼
 稚ニシテ就中経済思想発達セス是等天産物ヲ利用スルノ念殆ンド
 ナク僅ニ自給自足ヲ以テ満足セルノ状態ニ在リシガ故ニ海中ノ産
 物ヲ採集スルモノナキノミナラス彼ノ工業用トシテ高価ノ販路ヲ
 有スル貝類則チ夜光貝、高瀬貝、広瀬貝等ノ如キ莫大ノ貝殻ハ唯
 其肉ヲ食シタルノミニテ之ヲ放棄シ聯カモ愛惜スル所ナキ有様ナ
 リキ本人ハ先ヅ是等ノ状態ヲ目撃シテ慨歎シ本島ノ海産物ヲ採収
 シ之ヲ利用シテ国家ノ福利ヲ増シ県民ノ経済ラ進メサルヘカラス
 トナシ爾来三拾年間ノ星霜ヲ此ノ目的ノ為ニ消費シ其間幾多ノ辛
 酸ヲ嘗メ艱苦卜闘ヒ経営ノ多クヲ尽シ以テ本県人民ニ海産業ノ有
 利ナリヲ知ラシメ兼ネテ県下ノ無人島タル尖閣列島ノ経営及ビ沖
 ノ神島ニ於ケル事業ノ基礎ヲ作ルコトヲ得タリ」

  「明治十二年五月那覇ニ本店ヲ構へテ附近ノ人民ヲ誘導シ是等
 無数ノ貝殻類ヲ購入スルコトニ着手セリ之レ本人ガ薄資ヲ以テ孤
 身奮闘能ク今日ノ成功ヲ贏チ得タル事業経営ノ第一歩ナリトス」
  「本人ハ是等ノ貝殻カ先ツ外国商館向ノ適当品ナルヲ見込ミ之
 ヲ神戸港ノ外商ニ齎ラシ協商スル所アリ此等ノ貝類年々三四拾万
 斤ヲ売込ミ其売上代金ヲ以テ海産物ノ開拓事業ヲ進捗セシムルノ
 資ニ供シタリ」


 これら『藍綬褒章資料』からの引用文で次のことが明らかである。(一)古賀辰四郎は沖縄には必ず多種類の有用な海産物が豊富にあるものと来島以前に確信していたこと。(二)来島すると直ちに辰四郎自ら漁夫を傭い沿岸の潜水調査を開始していること。

 この二点によりお茶を商に来て偶然に注目したのではないことは明らかである。(三)夜光貝、高瀬貝、広瀬貝等の貝は沖縄では当時、貝肉を食料とし貝殻は放棄されていたこと。(四)辰四郎はその貝殻類が工業用として海外輸出するのに適当であると見込むだけの知識を有していたこと。(五)明治十二年(一八七九)五月、那覇に古賀商店の本店を置いたこと。(六)貝殻類を地元民を誘導しその採収にあたると共に神戸外商(外国商人)と協商し貝殻類の海外輸出を来島後の最初の事業としたこと。(七)貝殻の海外輸出の利益を海産物の開拓の資金に充当していたこと。

 これら初期の事業、夜光貝殻の海外輸出について考察してみたい。『大日本外国貿易年表』(大蔵省編纂・明治十五年より明治三十一年)(※10)を見ると、海外輸出品目として夜光貝殻が現われるのは明治十六年からであり、海外輸出品目より消えるのは明治三十一年である。よって本格的に夜光貝殻の海外輸出されていた期間は、明治十六年より明治三十年の間の十五年間となる。(表(一)夜光貝殻海外輸出推移表、表(二)明治十七年夜光貝殻国別輸出表、参照)


表 〔觚貝殻海外輸出推移表







表◆〔声17年,夜光貝殻国別輸出表




 ここで問題となるのは『大日本外国貿易年表』における夜光貝穀の輸出数値が、すべて古賀辰四郎(那覇古賀商店)と後述する大阪古賀商店によるものかどうかという点であるが、次の二つの理由により初期の段階では、ほぼ古賀辰四郎と大阪古賀商店が夜光貝殻の輸出を独占していたと考える。(一)夜光貝の産出地は奄美以南十〜二十fmsであり、主産地を沖縄と限定できること。(二)(※11)前出したように、古賀辰四郎が来島するまでは、それらの貝穀が廃棄されていたという事実である。また八重山古賀支店の記述を引用すると

  「其ノ後是等ノ貝類ハ次第ニ好況ヲ以テ外商間ニ迎へラレ大ニ
 販路ヲ拡大シ得ルノ見込確定シタルヲ以テ明治十五年二月県下ノ
 最遠隔離島ノ一タル八重山石垣島ニ支店ヲ設置シ島民ノ漁業ヲ勧
 奨シ傍ラ本業タル貝類其他海産物ノ輸出ニ努力シ大ニ啓発スル所
 アリシニ県民中漸ク斯業ノ有利ナルヲ覚エルモノアリテ直接外商
 ニ販売ヲ契約スルモノモ顕ハルルニ至レリ」

 那覇古賀商店・八重山古賀支店ではこれら『藍綬褒章資料』に見えるように、主業務を夜光貝殻等の貝殻採収(買い入れ)とし、次第に鯣(するめ、※ルビは管理者)・鼈甲(べっこう、※ルビは管理者)・鱶鰭(ふかひれ、※ルビは管理者)・海参(いりこ=ほしなまこ、※ルビ説明は管理者)等の水産物の加工製造の業務を付加していったのである。勿論、明治十七年(一八八四)以降、尖閣列島に年々労働者を派遣し信天翁等の鳥毛採収を行なって来たのであるが、この時代の鳥毛採集量を明示するものは現在までの所見い出せない。

 那覇寄留の時代では、夜光貝殻等と加工、製造された水産物を大阪古賀商店へ送りだし大阪古賀商店ではそれらの産物を外商を経由して海外輸出し利益を那覇古賀商店に還流し、古賀辰四郎はそれを資金として水産物の調査開拓、大東島、尖閣列島ほかの無人島の探険を行なっていたのである。



_____________________________________________

〔注〕

(※10) 国立国会図書館所蔵本を使用、欠損年次については、大蔵省の大蔵文庫所蔵本により補う。
(※11) 吉良哲明『原色日本貝類図鑑』保育社、昭和六十年発行





author:senkakujapan, category:尖閣諸島と古賀辰四郎, 19:32
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