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古賀辰四郎と大阪古賀商店(五)  藍綬褒章以後の時代

『南島史学』第35号 南島史学会 1990年
望月雅彦 「古賀辰四郎と大阪古賀商店」


   (五) 藍綬褒章以後の時代

 この時代は藍綬褒章の下賜より大正七年(一九一八)、辰四郎が死亡するまでの期間をさす。これまでの古賀辰四郎の事業は一貫して、沖縄の産物を大阪古賀商店を通じ海外(一部は県外)へ輸出するというパターンであったが、沖縄県内での消費を目的としたもの、沖縄県民の生活と密着した商品を取り扱い始める。その一つは砂糖であり、もう一つは甘蔗専用の肥料である。明治四十三年三月二日付『琉球新報』の砂糖相場欄に古賀商店の記載が有る。(記事〇仮函貌映六月十五日付『沖縄毎日新聞』に掲載の古賀商店広告に「甘蔗専用肥料、星印肥料特約販売店」とある。

 この変化は重要である。この頃より辰四郎は尖閑列島経営の先行に不安を持ちはじめた為に、従来のパターンの一部修正し始めたと思われる。尖閣列島の主たる事業であった、信天翁の鳥毛の採集は、明治三十三年の時点で信天翁の数は大幅に減じている(※19)。乱獲と猫害により鳥毛の採集事業は中止のやむなきに至り、「アジサシ」「カツオドリ(ミズナギドリ)」の剥製鳥・鳥油・鳥肉肥料の事業は、明治四四十三年の狩猟法(※20)に、保護鳥獣の種類が大巾に増加され、その中に絶対的保護鳥獣として名前があるので、それ以後にはこれらの事業は継続しえなくなったと推定できる。明治四十三年(一九一〇)三月二十二日、沖縄永産組合創立総会において、古賀辰四郎評議員となる(※21)。明治四十四年(一九一一)一月二十八日付『琉球新報』紙上に沖縄肥料株式会社監査役として古賀辰四郎の名前がある。沖縄肥料株式会社は肥料の販売と貸付を目的として明治三十五年(一九〇二)三月に設立された会社である(※22)。大正期にはいると、御木本幸吉と共同して真珠養殖事業を県内で始めるが、どの程度、辰四郎が関与していたかは不明である。

 古賀辰四郎と御木本幸吉の関係は、御木本幸吉の伝記(※23)によると、明治二十年(一八八七)、琉球泡盛を古賀辰四郎と結んで、名古屋に特約店をもうけ販売していたが、内地と同じく税がかかるようになり、採算が取れなくなってやめたと記されている。大正七年(一九一八)八月、古賀辰四郎は死亡した。なお古賀辰四郎の死亡年月日について、沖縄タイムス社『沖縄大百科辞典』の「古賀辰四郎」の項目では一九一八年(大正七)八月十五日、死亡とあるが、大正七年は確定できるが、月日までは確定できない。八月十五日以前という可能性も充分に考えられる。その理由は次のようである。大正七年八月十五日当時の現在する新聞資料(マイクロ化されたものも含む)で一般閲覧可能なものは『先嶋新聞』(喜舎場永┿畚蠡◆砲里澆任△襪、(沖縄県内発行の新聞に限定)その『先嶋新聞』大正七年八月十五日号には欠損があり、その欠損部分が古賀辰四郎の訃報の可能性が高い。しかし八月十五日号に訃報が掲載されていたとしても、『先嶋新聞』は日刊ではなく月三回、五の日発行であるから、八月十五日死亡とは限らないのである。古賀辰四郎の死亡年月日は大正七年八月五日より八月十五日の間と推定される。

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〔注〕

(※19) 宮嶋幹之助『地学雑誌』第十二輯第一四二巻、「沖縄県下無人嶋探険談」明治三十二年
(※20) 林野庁『鳥獣行政のあゆみ』昭和四十四年発行
(※21) 『糸満市史』新聞集成(二四四ページ)
(※22) 『琉球新報』明治三十九年一月一日付「本県会社一覧」
(※23) 乙竹岩造『伝記御木本幸吉』講談社、昭和二十五年五月二十五日発行

author:senkakujapan, category:尖閣諸島と古賀辰四郎, 19:35
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