下はgosaku氏のサイトからの写しです。
「週刊現代」96年10月11日号の記事を引用されていましたので、
忘れないようにと、写させて頂きました。
この記事を持っていられる方がありましたら、拝見させて頂けませんか。
http://chinachips.fc2web.com/repo1/015202.html
―― 尖閣諸島に関するデータは多くはありませんが、
以下は、1974年(昭和49年)に那覇地方法務局に登記してあるものを記事
にした、「週刊現代」96年10月11日号より引用しました。
┌──────────
尖閣諸島は、沖縄県石垣島市宇登野城という住所で、5つの島と4つの岩場か
ら成っています。
那覇地方法務局より登記簿謄本を取り寄せてみると、4つの岩場は「所有者な
し」となっており、一番小さい大正島(面積4万1368平米)は財務省の所有
となっています。ところが、残りの4島の所有者として、魚釣島(364万1
983平米)南小島(32万4628平米)北小島(25万8824平米)に栗原
国起氏、久場島(87万4049平米)に栗原和子氏という名前が登場します。
そこで、所有者となっている埼玉県大宮市在住の栗原家を取材した記者による
と、結婚式場[菱屋会館」社長の国起氏は「我々を何処で知ったのか?話すこ
とはない」とツッケンドンな対応でしたが、何度も足を運ぶうちに、ようやく
母親の和子氏が取材の一問一答に応じてくれました。
― いつ、どのような経緯で買われたのですか?
「尖閣諸島を購入したのは、確か73年から74年にかけてのことでした。
たまたま、前の所有者と栗原家が知り合いであった関係で購入しました。しか
し欲得や売名目的があったわけではありません」
― 政治的な意図はなかったのですか?
「私共は、今は地元で結婚式場を経営していますが、17代続く大宮の大地主
で、政治団体などと全く無関係です。前の所有者が売り出したときには、いろ
んな人が名乗りでたようですが、純粋に島の自然を保護してくれると信用され
たのは国起だけだったのでしょう」
― 島の管理は?
「固定資産税は毎年石垣市に納めていますが、交通が大変不便で、島には宿泊
施設もなく、現地へ行ったのは一回だけで今は管理も何もしていません。今回
政治結社が北小島に灯台を建てたようですが、私共には何の断りもありません
でした。自分の島のことで、外国も騒ぎ出したりして、ただただ当惑している
んです」
― トラブルの多い島ですが売るつもりはありませんか?
「売って欲しいという話は一度もきておりませんし、仮に大金を積まれても、
誰にも譲るつもりはありません。島を永久に自然のまま残すというのが、前の
所有者との約束でしたから」
└──────────
―― 尖閣諸島は、日露戦争後の1895年に日本の領土に編入されました。
その後、1932年、現地に鰹節工場を建設した古賀辰四郎という人物に払い
下げられています。戦後はアメリカの管理下におかれたものの、古賀家は固定
資産税を沖縄(政庁)に払い続け、事実上の所有者として認められていました。
辰四郎氏の息子、善次郎氏に子供がなかった事から尖閣諸島の相続問題が発生
しました。その際、「自然破壊をしない」という条件で、栗原家が買い取った
のだといいます。
栗原家の周辺筋によると、売買価格は一坪約30円、つまり約4630万円で
四つの島が取引されたことになります。栗原家は、大宮市に1万5100平米
もの広大な土地を所有しており、結婚式場「菱屋会館」の経営も軌道に乗って
おり、近所で聞くと「昔の庄屋さんだけあって非常におっとりした一族」だそ
うで、投機目的や政治目的で尖閣諸島を所有しているというのでないのは確か
です。
―― けれども、
「島を自然のままに」という栗原氏の希(のぞみ)とは裏腹に、尖閣諸島は日増
しに一触即発の様相を呈してきています。
尖閣諸島の領有権に関する我が国と中国との紛争は、世界が「200カイリの
時代」に入ろうとしていた1968年に、国連アジア極東経済委員会が同諸島
が所在する東シナ海の海洋調査を行い、同海域の大陸棚に石油資源が埋蔵され
ていることが翌69年に公表されたことから、それまで領有権を主張したこと
のなかった中国が、70年12月に、突然、尖閣諸島の領有権を主張する声明
を発した時に始まりました。
以来今日に至るまで、70年〜72年、78年5月、90年10月、92年2
月、96年7月と、これまでに5回ほど、大きな紛争が我が国と中国との間で
起きています。
69年に、東シナ海の大陸棚に石油資源が埋蔵されているとの国連ECAFE
調査が公表されたとき、我が国の4社の企業が鉱区を設定し「先願権」を得ま
したが、中国政府が、日本による石油資源開発を「日本帝国主義復活の徴候」
と強く非難したところから、それ以後、日本政府はこれらの企業が資源探査を
実施することすら許可しないまま今日に至っています。
また、78年5月、中国の武装漁船多数が尖閣諸島領海内に居座る事件が起き
た時、(故)小平氏は「このような事件を今後は起こさない」と約束し、領土
問題の「棚上げ」を提案しました。
だが、日本政府は日中間に「領土問題は存在しない」との立場に立って、この
問題に真剣に対処しませんでした。「棚上げ」は、その時点で解決することが
中国にとって不利なので解決を先延ばしにし、東シナ海における中国の活動が
強化され、尖閣諸島問題を棚から下ろしてもよい時期がくるまで「棚上げ」し
ておくという中国側の戦略だったのです。
この程度のことは、少し考えれば直ぐに分るハズですが、歴代の我が国政府は
「日中関係が重要」を理由にして放置してきました。案の定、それから30数
年を経た今日に至っても、尖閣諸島問題は少しも解決しないばかりか、むしろ
なにか問題が起こると中国が強い態度に出、日本側はそれに押されて後退する
ばかりで不利になる一方の状況になっています。
96年7月に、我が国の政治団体「日本青年社」が、尖閣諸島北小島に灯台を
建てた時、中国政府は日本政府に対し「不法な活動を止めさせよ」と要求しま
した。ーー日本政府が、ひたすら「友好第一」ばかり唱えている間に、日中の
立場は完全に逆転してしまったのです。
さる3月24日、中国の「中国民間保釣連合会」という民間団体が、海上保安
庁巡視船の警備態勢の裏をかき、尖閣諸島周辺海域に侵入して、我が国の領海
を侵犯したばかりか、7名が同諸島の主島である魚釣島に上陸して、我が国の
国土を侵犯しました。
沖縄県警が7名の身柄を拘束し「不法入国」の現行犯として逮捕。7人は沖縄
地方検察局に送検され、取調べを受ける事になっていましたが、26日になっ
て突然送検を取り止め、入国管理局に全員の身柄を引き渡し、同日夜、中国に
強制送還されました。
これは、小泉首相が「日中関係に悪影響を与えないように、大局的に判断しな
ければならない、として関係部署に指示した」結論であったとされています。
―― それより先の2003年7月1日から、
中国では「無人島の保護と利用に関する管理規定」が施行され、尖閣諸島を含
む無人島が民間に開放されています。それ故、今回の出来事は、これまで尖閣
諸島に関して起きた出来事とは異なり、中国政府が施行した、無人島に関する
「規定」に基づいて、即ち中国政府の「お墨付き」に基づいて実施されたと見
るのが妥当な見方でしょう。
上陸した7人を残して母船が尖閣諸島領海から去ったことも、この7人が日本
の警察に逮捕されることを前提としていたことを示唆しています。
今回の事件をそのように捉えるならば、中国政府の「反日教育」を受けた一部
の跳ね上がり分子が不法入国したと片付けて済む単純な刑事事件ではなかった
ことが分ります。ーーわが国の領土・主権が、中国政府の事実上の「承認」の
下で侵犯されたのです。
―― この事件を、
日本政府がこれまでの「弱腰」から一転して「毅然として領有権を示した」と
か、(中国)国内の「反日世論」と、日本との友好関係維持との板挟みになって
いる中国政府に対する外交的配慮を示したとか、
ーー日本政府の弁明や、マスコミの解説がなんとも虚しいものに聞こえます。
「無人島の保護・利用・管理規定」という、この重要な中国政府の決定を、
・我が国政府もマスコミも知らないのか?
・それとも、知っていても知らない振りをしているのか?
尖閣諸島や東シナ海で、中国が日本を無視した大胆な行動をとることができる
のは、自国の主権や領土が侵犯されても「友好」を第一とする日本側の消極的
な対応を見透かしているからです。
ーーこの点を、日本政府は十分に認識しなければなりません。
これまで日本政府が取ってきたその場しのぎ、外圧対応型の対症療法を今後も
続けるならば、遠くない将来、極めて危険な立場に追い込まれることになる惧
れ(おそれ)が大です。
ーーそのような事態はなんとしても回避しなければなりません。
尖閣諸島の、普通のテーブル大の大きさの島嶼や岩礁を円心にして円を描いて
みると、1550平方キロの海域が領海面積になり、また200カイリの円を
描くと、その周囲43万平方キロの海域が排他的経済水域となります。
その海域の海洋生物資源の漁労、及びその海底の大陸棚に埋蔵されている石油
・天然ガスなどの鉱物資源の採掘、利用などにたいする主権的権利を維持する
ことができます。それ故にこの島嶼は、軍事的には「不沈母艦」、経済的には
内陸に通じる「島の橋」であるとしてとらえることが出来ます。
我が国で尖閣諸島問題に関心を持つ人の多くは、中国が軍事力で盗りに来ると
みているようですが、そんな子供にも分かるような手段は使わず、今回のよう
に民間組織を装ったり、さらに次々と手を変え品を変えて押し寄せてくること
になるでしょう。
中国が軍事力で尖閣諸島を盗りに来るならば、自衛隊が出動するとになり占領
されることはまずないでしょう。中国がそんな単純な方法を採るとは考えられ
ません。中国がこれまで行ってきたことは、領有権問題は後回しにして、海洋
調査活動・石油開発などを含め、東シナ海にプレゼンスすることであり、そう
なれば、尖閣諸島は自ずから中国の支配下に入ってしまいます。
ーー中国の狙いはそこにあるのではないでしょうか。
中国は、東シナ海の大陸棚の石油資源調査を70年代から進めており、80年
代に入ると「日中中間線」の日本側のスグ向こう側の海域で石油開発のための
試掘に着手し、同年代後半には、幾つかの地点で正式の石油試掘を実施、その
一つである平湖油田では、石油採掘のプラットフォームを建設し、上海に輸送
する海底パイプラインを敷設する計画が立てられるところまで進んでいます。
ーー次は日本側海域での資源探査が始まるものと推定されます。
そして現実に、90年代半ばになると、中国の海洋調査船が日本側海域に入っ
て資源探査と推定される調査活動を始めました。
日本政府の、調査活動停止の要請を無視して海洋調査は進んでいます。
また、平湖油田よりさらに「日中中間線」に近い、春暁油田の採掘施設の建設
も進行中で、おそらく、間もなく採掘のプラットフォームが完成します。ここ
の石油・天然ガスは、杭州湾に臨む寧波に海底パイプラインで送られます。
ーー寧波には、中国東海艦隊の司令部があります。
日本政府は、日本の南西諸島は中国と同じ東シナ海の大陸棚にあるから、向か
い合っている国の間に存在する東シナ海の大陸棚は「日中中間線」で二等分す
るとの立場なのに対し、中国は、東シナ海の大陸棚は、日本の南西諸島に沿っ
て存在する「沖縄トラフト」まで続いているとの立場に拠る「大陸棚延長論」
を主張し、日本には東シナ海大陸棚に対する権利はないとしています。
もし、日本が東シナ海に「日中中間線」を引かないと、中国はそれを認めてい
ないのですから、中国は日本の立場を無視して、日本側海域で海洋調査活動を
始めるようになる恐れがあります。従って、日本政府が早急に「日中中間線」
を引かなければ、中国が日本側海域で調査活動をはじめた場合、それを停止さ
せることができなくなります。
中国は、90年代中葉になると、「中間線」を越えて我が国海域で調査活動を
開始しました。しかも我が国政府の停止要求を無視し「ここは中国の領域であ
る」として調査を続行、96年7月20日、わが国政府がようやく国連海洋法
条約を批准して「日中中間線」を設定しましたが、中国の海洋調査活動を阻止
できないまま、ーー2001年には「事前通報」制度により..中国の海洋調査
活動を容認したばかりか、今回は尖閣諸島への上陸まで許してしまいました。
「日中中間線」を引いた段階で、日本側海域における中国の活動を阻止させる
ことができなければ、次はわが国の領海内で中国の活動を阻止するほかはあり
ません。我が国政府は、4回にわたり中国政府の「お墨付き」民間団体により
領海を侵犯されたばかりか、今回は領土までも侵犯させてしまったのです。
ーーそれでも、日本政府は中国の意図がどこにあるか理解できないようです。
―― アメリカ国務省のエレリー副報道官は記者会見で
「沖縄返還に伴い、尖閣諸島は日本の行政下にある」
と述べ、
「日米安保条約は、日本の施政下にある領域に適用され、尖閣諸島にも適用さ
れる」
と明言しましたが、それに続いて
「尖閣諸島の最終的な領有権については、何れの立場にも立たないというのが
米国の長年の方針である」
とも述べ、領有権については中立を維持する姿勢を示し
「領有権を主張する国と地域が、平和的に問題を解決することを期待する」
と語って、冷静な対応を両国に求めています。
―― 申すまでもなく、自国の領土は自分で守るのが基本です。
尖閣諸島に限らず、日本が有事の際に日米安保条約が適用されるかどうかは、
その時点での国際情勢と、それに対する米国の立場によって左右されます。
つまるところ、日本が自国の領土を守る決意を示すことなく、初めから他国に
依存する国ならば、どうして米国が護ってくれるでしょうか。
日本が、自国の領土を守る決意を日常的に外に向かって示していれば、中国に
しても、日本をバカにして押し寄せてくることはできないでしょう。