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尖閣列島探検記事 (承前) −その5−

尖閣列島探検記事 (承前)     第6回


著者 : 黒岩 恒    
書籍 : 
「地學雑誌」第12輯第141巻(明治33年9月)
      (533頁12行〜535頁4行)



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【現代語意訳】

尖閣諸嶼 (Pinnacle group)は魚釣島の東方にある二小島と、数個の小さな岩礁を総称するものにして、魚釣島への距離は僅かに5.6kmばかり、黄尾嶼までは21kmである。二つの小島中東南にるものを南小島と云い、西北にあるものを北小島と云う。沖縄人の間では「シマグヮー」と呼ばれている。小島という意味である。両島の間に幅200mの水道があり、これを「イソナ」の瀬戸と云う(新称)。イソナはクロアジサシのことである。潮流は常に北に向っており速度も速く、この瀬戸を遡ることは容易でない。南小島の西岸に伊澤泊(イサワトマリ・新称)がある。僅かに小舟が一艘か二艘を碇泊させる余地はあるものの、港の入り口まで黒潮が激しいぶつかっており湾内も波が高く危険を伴う。探検の汽船は、両島の陰に隠れ流れの平穏な場所に錨を降ろしている。水深は25m〜27mである。

海上より尖閣諸嶼を望む

尖閣諸嶼の地質であるが、全島は調査していないが、南北両島の主な地点を観察すれば水路志に記載されている玄夫岩ではなく、実際は近古代の砂岩である。南小島の西部に於ては、この砂岩は北四十度の傾斜があり、緻密部と粗粒部の相とが交互に重なっている。北小島は地層の変異が南小島に比べれば遙かに少なく、北端をなす三層岩(新称)の如きは、船中より見れば殆んど水平の層である。珊瑚礁は南小島の北岸で大きく発達しており、北小島には少々あるに過ぎない。伊澤泊の小屋の後ろに大きな岩洞がある。洞窟中の砂岩の層間から水が滴り落ちているが酸味がある。北小島の南側では同種の水が流れて小さな渓をなしており、これを両手で汲んで飲んでみたが酸味が多くして飲むに堪へない。沖縄に帰ってこれを化学者に検査してもらったところ、多量の塩酸が含まれ、また硫酸の反応もあると云う。一応ここに記して詳細は後の研究を待ちたい。




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【原文】

 尖閣諸嶼 (Pinnacle group)は釣魚嶼の東方に位する二小島と、數箇の拳石を総稱するものにして、釣魚嶼への最近距離は僅々三哩半斗、黄尾嶼へは十三哩を隔つ。二小島中東南に在るを南小島と云ひ、西北にあるを北小島と云ふ。沖縄人の間には「シマグヮー」を以て通す。蓋し小島の義なり。兩島の間に幅二百メートルの水道あり。これを「イソナ」の瀬戸と云(新稱)。流潮は常に北に向ふて走るを以て、峡間を溯上するは容易の業にあらず。南小島の西岸に伊澤泊(イサワトマリ・新稱)あり。僅に小舟一二艘を容るヽ余地あるも、港口は黒潮の激衝を受け浪高きの失あり。探撿の滊船は、兩島の陰にして潮勢の平穏なる位置に繋れり。水深は五六尋なり。
此諸嶼の地質は如何、余は悉皆回査せしに非さるも、南北二小島の要部に就きて觀察する時は彼水路志に記載せる如き玄夫岩ならずして、實に近古代の砂岩なり。南小島の西部に於ては、此砂岩は北四十度の傾斜を有し、緻密部と粗粒部と、交互相層疊するを見る。北小島は地層の變位南の小島に比すれは遙に小に、北端なる三層岩(新稱)の如き、船中より望見すれば殆水平の層なり。珊瑚礁は南小島の北岸に於て大に發達し、北小島に少し。伊澤泊なる小舎の後面に一大岩洞あり。砂岩の層間より摘出する水一種の酸味を有す。北小島の南側にては仝種の水流れて小溪をなし、之を掬するも酸味多くして飲むに堪へず。帰來之を化學者に質すに多量の鹽酸を有し硫酸亦反應中に在りと云へり。暫く記して後の研究を待んのみ。


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【注釈】

※拳石(けんせき)こぶし大の石。
※三哩半斗(5.6km)、十三哩(21km)、哩(マイル)1マイルは約1.609キロメートル。
※通す、通称(つうしょう)は、正式な名称ではないが、特定の人や物に対する呼び名として世間一般において通用しているもののことである。俗称(ぞくしょう)ともいう。
※イソナ
次章の「釣魚嶼及び尖閣諸嶼の生物界」に、暖季最多きは「セグロアジサシ」(Sterna fulginosa)及び「クロアジサシ」(Anous stolida)にして、後者には「イソナ」の方言あり。とある(537頁)。
※溯上(そじょう)流れをさかのぼっていくこと。
※五六尋※十四五尋(25m〜27m)、1尋1.829m。






 


author:senkakujapan, category:-, 23:37
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尖閣諸島の名前の由来
魚釣島・久場島など八島五岩を尖閣諸島と名付けたのは沖縄師範学校の教諭黒岩恒氏であることは内外を問わず知られているところである。これは英国水路誌によったものであると言われている。しかしそれは単なる引用訳文ではなく、黒岩氏が直接に見て自らの実感による命名であることは、その「尖閣列島探検記事」(地学雑誌第12輯第141巻、535頁)の文章から明らかである。



 尖閣或は尖頭なる名稱は本島の處々に見る所の突岩に基くものにして、南小島の東部に屹立する者頗る大なり、余は之に新田(ニツタ)の立石(タテイシ)なる名稱を附せリ、(仝僚教諭・新田義尊氏に因む)又北小島の西端なる三尊岩(サンソンイワ)(新稱)の如きも、尖閣の名に負かさるなり、島の沿岸小岩洞多く、北小島の東岸に在るもの稍大、洞中時に赤尾熱帯鳥を見ると云、南小島の洞中には蛇多くして鳥卵を食ふと云、共に行き見るの期なかりき、本島と釣魚嶼との間の海面は水道岩(Channel Rock)によりて二分せらる東の水道は水路誌に水深十二尋を以て記述せられたるもの西の水道は恐くは大船の通航には危險多かるべく今回の探檢船永康丸の如き此水道の中央より少しく釣魚嶼に近つきて航走せし爲船底微かに暗礁を摩せり余は紀念の爲、本礁を永康礁と名つけ此水道を佐藤水道(船長佐藤和一郎氏に因む)と稱せリ、

author:senkakujapan, category:-, 09:13
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